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パネルトーク1 福岡の歴史を繋ぐ ~私の好きな劇場~

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6月19日 17:00 ~ 20:30 | 世代別パネルトーク

第1部:劇団設立10年以内・前後の世代によるパネルトーク
時間帯
17:00 ~ 18:00
パネリスト
榎本史郎 (劇団えのき岳遊劇隊)、太田美穂 (ミクロドロップ)、小林ゆう (演劇銭団Do-リンク場)
司会
三坂恵美 (NPO法人FPAP)

パネリストのみなさんに、劇団の旗揚げ公演で利用した劇場について話をうかがうところからスタートしました。

榎本さんはシアターポケットで旗揚げ公演をおこなったそうです。 タレントやお笑いをしたいという団体だったので、 まずいろんな方に話をきいて勉強しなければ、ということで 劇団翠平船の公演に参加してみた、とのこと。 そこで、「まずここでやりなさい」と聞いてシアターポケットを利用したそうです。

当時はまだぽんプラザホールがなく、「今だったら『ぽんプラザホールでやりなさい』と言われるだろうね。」という話が出ました。

シアターポケットは現在はない劇場ですが、 当時は福岡のいろいろな劇団に利用されていました。 清川の細道に入ったところにあるアパートのような建物の一室で、 1・2階が劇場と楽屋、上の階は住居として使われていました。

太田さんはぽんプラザホール、小林さんはエスペランサホールで、旗揚げ公演をおこなったとのこと。

他にもどういった劇場を使ったことがあるか、というところで、 様々な劇場の名前があがっていく中で、客席から「懐かしい・・・」という声があがったりもしていました。

どんな劇場を使ってみたいか、という話から理想の劇場の話へ。 自分達で劇場を持つならどこ・どんな劇場がよいか?という話もでました。

太田さんは箱崎が大好きなので、 劇場を持つなら箱崎がよい、とのこと。 子どものころには近くに、劇団仮面工房が作った劇場・月光シアターがあり、 見世物小屋のような雰囲気で、親に「観に行っちゃいけない」と言われていたそうです。 月光シアターには大学の時に行き、熱いという印象を受けたそうです。 お芝居を始めた原体験がここにあるかも・・・とのこと。

また、劇場をつくるということに対して、 演戯集団ばぁくうの佐藤さんが劇場にかけた思いに触れる機会があったとのこと。 空間を観客と共有することの厳しさや劇空間へのこだわりは今も参考にしていて、 徹底的にこだわった空間作りにあこがれているそうです。

小林さんは「自分の劇場を持つなら、マンションを持ちたい」とのこと。 1階に劇場があって、昼間は喫茶店をしている。 2階に稽古場があり、3・4階には役者をめざす人が住む。 といったマンションを持ちたい、ということを話しました。

「僕らの世代は、自分達の劇場を作ってきた先達がいるし、 いいホールもできて、恵まれている。 僕らもがんばっていきたい。」 という話もでました。

この世代は、自分達で劇場をつくる、というよりも いまある劇場を借りて利用しているという世代です。 借りるという制約のある中でも、 こだわりをもった劇場空間づくりを、これからもすすめてほしい!と思いました。




第2部:劇団設立10年以上の世代によるパネルトーク

時間帯
18:15 ~ 19:15
パネリスト
荒巻久登 (有限会社シーニック)、後藤香、山内まり (劇団 PA!ZOO!!)
司会
仲谷一志 (劇団ショーマンシップ)

各パネリストの自己紹介・今までに使ってきて印象に残っている劇場についての話からスタートしました。

荒巻さんは、学生時代から照明スタッフとして演劇に関わっていたそうです。 「夢工房で鍛えられた!
自由にできる、という意味では、 今は夢工房のようなガレージ的な劇場がなくなってきて寂しい。」ということでした。

ガレージ的な劇場として、博多こもんど4.22も挙がっていました。 楽屋が、劇場の階段をあがった上にあったそうで、 観客が入ってくる前に舞台の上手にスタンバイしなくてはいけなかったそうです。 また、天井までの高さが2mくらいだったそうで、 照明機材を吊るのに脚立がいらなかったそうです。 家庭用のハンガーで照明を吊っていた。とのことでした。

山内さんは、公演の度に安いところか作品にフィットする劇場を使っているとの事。 とにかく専門知識のあるプロのいらっしゃるところに行くべき、と 早良市民センターのホールを使ったところ、 小屋つきのテクニカルの方がたまたま怖かったそうです。 観客を呼ぶには勉強をしないといけないと感じたそうで、 市民ホールサービスで4年働くきっかけになったそうです。 演劇人としてやるには、裏を知っていないとだめだと思う、とのこと。

後藤さんはキャビンホールが記憶に残っているそうです。 ぽんプラザができる前、今のぽんプラザのような感じで使われていた劇場だそうです。 たばこ産業がメセナ活動の一環として運営していたホールで、 小屋つきもいないので、ちゃんとした劇場ではなかったそうです。 小屋つきがいないので、裏のことがわからず、 怒られないのでやりたい放題に利用していた面があったとのこと。

他の公共劇場を使うようになってから、 小屋つきの方に怒られたりして、教育されていたそうです。

歌舞伎などの舞台は「舞台を使わせていただく」という感覚なので、 劇場を管理している方々は、守っているということで厳しいところがある、という話もでました。

司会の仲谷さんは甘棠館という劇場を運営しているのですが、 自分が厳しく指導をしてもらったという経験があったので、 自分より下の世代の方々が利用しやすいようにしたい!という思いから、 「アマチュアの利用者は舞台についての知識がなくて当然」という前提で運営をしているそうです。 ただ、それで平台を傷つけられてしまうということもあったそうです。

劇場のプロデューサーについての話や 地域演劇の中での劇団活動の構造についての話、
ぽんプラザホール建設にむけておこなわれた、 福岡市役所での会議についての話もでました。

また、キャビンホールは道路から何かをやっていると感じられたが、 ぽんプラザホールはそれがわかりにくい。 ここに劇場がある!という風にしてもらえたらうれしい。という意見も。

演劇活動が地域の活性化につながっていくためにも、 劇場へ足を運ぶ観客だけではなく、劇場の前を通り過ぎていく方々へのアプ ローチも必要だなと感じました。




第3部:劇団設立20年以上の世代によるパネルトーク

時間帯
19:30 ~ 20:30
パネリスト
石川蛍 (劇団夢工房)、佐藤順一 (演戯集団ばぁくう)、こすぎきょうへい (劇団クレイジーボーイズ)
司会
柴山麻妃

1・2部と違い、自分達の劇場を持って活動していた方々によるパネルトークです。

佐藤さんはアトリエ戯座という劇場を運営していらっしゃいました。 平尾→大名と場所を移し、今は六本松に引っ越して、 試演会や朗読の発表会などの形で地域とつながっていきながら、 舞台にあがるチャンスをより与えられる場にしたい、とのこと。

稽古場と発表の場を自前で持ちたいというのが表現の目標でした。 物を持って帰ったりという手間をはぶき、 粗末であってもなんとか観客を招いて 共有できるような空間を持ちたいという思いから、 劇場をつくったそうです。

こすぎさんは舞鶴Show会(劇団クレイジーボーイズの前身)という劇団で活動していた時に、 シアターポケットという劇場を作りました。

今のように演劇の練習で利用できる稽古場がとにかくなかったそうです。 市民センターではまとめて複数の日程を押さえることができず、 劇場がほしいというより、稽古場がほしいという理由で場所を探していたそうです。 そこで清川に物件を見つけて、シアターポケットを作ったそうです。

石川さんは大学時代に演劇にふれ、その後劇団夢工房を結成。 ランキンチャペル→中央公民館(太郎劇場)→喫茶店 人形といった、 劇場や劇場以外の場所での公演を経て、 2DKの自宅を劇場として公演し、その後劇場夢工房をつくったそうです。 他にも、歯医者の2階やスナックで公演したり、 劇場ではTNCパヴェリアホール、博多座などで公演したりしてきた、とのこと。

夢工房の劇場は、大工の心得があった石川さんがお一人で劇場としてととのえたそうです。 資金繰りがうまくいかず15年ほどで閉館してしまったとのこと。 当時はいつも機嫌が悪かったそうで、 劇場の家賃を支払うために芝居をしていた、 そうしていくうち、それはおかしいと思ったそうです。

資金面のやりくりなど、具体的な苦労話がいくつかでてくる中で、 今の劇場は使いやすくなっている。 活動しやすくなったことで、芝居への情熱がまとまっていく時の 気持ちの結集力というか、作品にかける思いみないたものが薄くなっているように感じている。という意見がでました。

他に、石川さんが夢工房で今も悔やんでいることとして、 地域との交流がなかったことをあげていました。 こういう変なところだけれど、観に来てほしいと 近所の方に働きかけていればよかった・・・と語っていらっしゃいました。

最初に夢工房の話をされた時は、「劇場なんて持つもんじゃない!」と おっしゃっていましたが、 パネルトークの終わりのころに「劇場をやっていたのは、まんざら無駄ではなかったな・・・」呟いていらっしゃいました。

20年以上活動されてきた方々のお話は、 失敗談として話される内容にも、深い含蓄が込められていて、 先輩の話はちゃんと聞くものだと居住まいを正しました。




6月20日 17:00 - 19:00 | 福岡の歴史をつなぐパネルトーク

時間帯
17:00 ~ 19:00
パネリスト
榎本史郎 (劇団えのき岳遊劇隊)、荒巻久登 (有限会社シーニック)、仲谷一志(劇団ショーマンシップ)、佐藤順一 (演戯集団ばぁくう)
司会
柴山麻妃

まず最初に、1日目のパネルトークの感想からスタートしました。 パネリストのみなさんには、ご自分の出演する部以外のパネルトークを、客席で聞いていただいていました。

「まだ経験していないことを先に聞くことができたり、 すごい熱量をもって活動していた方が 今も活動しているということを知れて楽しかった」という感想や 逆に、「若い世代の話を聞いてみて、知的情熱がありしっかりしていると感じた。若い芝居にひとりよがりのおもしろくなさを感じていたが、また観てみようかなと思うことができた」という感想がでました。

オリジナルの創作作品の上演が多いことの功罪などの話から、 劇団のなりたち方が変わってきているという話がでました。 以前は、不条理やリアリズム、アングラなどのカテゴリの中で 師匠について勉強するという縦のつながりがあったり、 団体の中で演出家が絶対の存在というのがあったりしたのが、 現在は同じ世代の方々があつまって劇団をつくるなどして 横のつながりになっていて、ジャンル分けという概念がうすれてきていたり、 ディスカッションで作品をつくっていくようになったりという形に 変化しているようにみえるとのこと。

この変化は福岡だけの状況ではなく、日本の演劇の状況の変化や 時代の流れによって変化してきているもののようです。 演劇とのかかわり方の姿勢について、 若い世代の様子は、他の世代から見ると覚悟がたりないと感じられることもある。とのこと。

福岡のこれからの展望を話していく中で、 演劇をやっている人を応援したい!と言ってくれる演劇ファンを増やしていかなければいけない。 そのためにもいい芝居をたくさん観せていかなければいけない。 その点では、今の20代の劇団の元気の良さに期待が持てるし、 おもしろい状況になっているという話もでました。

佐藤さんは、今回のパネルトークでそのことを発見できた、とのこと。

覚悟が足りないように見える、という話については 20代、30代と壁を乗り越えていくうちに、 演劇で生きていくのだ、という覚悟がかたまっていくのかもしれない・・・、 という意見もでました。

演劇ファンが増えてもらうためにはたくさんおもしろい芝居をつくらなくてはいけない。 壁にぶつかった若者が続けていけるよう、 魅力を感じてもらうために何ができるだろうかと、考えた。いう話も出ました。

観客層のひろがりのため、地域とのかかわり方を考えたり、 育児サービスなど様々な方が観劇するための工夫をしたりしていってほしい という話も。

各世代の意識や、作品の方向性などで、 それぞれに抱えている問題や想いは違っても、 観客におもしろい作品を届けたい、という気持ちは同じなのだと感じました。

若い世代から順に時代を遡ってお話をしてもらい、各世代の歴史を感じ、 翌日には各世代のパネリストで相互に話し合うことで、 各世代の歴史をつなぎ、福岡の演劇にむけた共通の思いを確認しあうことができました。

今回参加した表現者だけにとどまらず、 このパネルトークをきっかけに世代間の建設的な情報交換が広がることで、 それぞれの世代でそれぞれに学び合い、高め合うような交流が行なわれていけば、これからの福岡の演劇の歴史に深みを出せることが確認できたパネルトークでした。




この演劇祭はお祭り騒ぎに終わらない。ワークショップや対話プログラムにもご期待ください。