◯作品に与えた影響 森國 今回韓国で公演してみて、それに向けて稽古をしてお客さんの前で公演しました。その作品のクオリティー的なところとか、今回の韓国での公演を経て、劇団として持ち帰ったもの、作品作りにこんな影響があった点、変わったかなと思った点、ここを意識しようと思った点というような部分があれば教えてください。 例えば、今回字幕を入れて公演をしてみたことで新たに気づいて日本で公演するときもこういうことを気をつけてみようと思ったとか。韓国語での公演によって、言葉に対する意識が変わったとか。 後藤 役者としてちょっと意識したのは、字幕が出ているという意識があったので、意味を伝えやすくするためにちょっと動きを引き立たせるということは、やった。それ以外の芝居作りは日本にいる時と全く同じ。 森國 それは、日本にいる段階で、「次は釜山だからこれだけは絶対取り入れよう!」と思って取り入れたんですか?それとも、現地で変更したのでしょうか? 後藤 (日本で)稽古をしているときは気づかなかった。小屋入りして字幕が入って稽古をしていて、そういう意識になった。 森國 それは公演が終わってからお芝居される時のことに関係したりしましたか? 後藤 釜山公演が終わってからまだ劇団の公演をやっていないんだけれども、たぶんそれは情報が1つ増えたからそうなった。それがなくなったら戻ると思う。お客さんが見ていて、お芝居を受ける側として1つ「字幕を見る」という行為で見方が変わるのでやった点だと思う。釜山をやったから、自分の芝居作りが変わったということではなかった。自分が思っていることが日本人だけの感覚なのか、他の国の人でもそう思うのか、確かめに行った感じが近い。 森國 実際に公演をしてみて、この点を確かめることができたと思うのですが、確かめてみた結果どうでしたか? 後藤 同じでした。言葉とか国が違っても一緒だったなと思いました。 森國 自分が思っていることや常に考えていることというのがあってということでしょうか? 後藤 あの作品で言うと、「種(シュ、たね)」のことをテーマに、生き物はほんとは一人じゃ生きていけないからいろんな人と関わりあって生きていくという部分を書いている。(言葉とか国が違っても一緒だという部分について強く感じたのは)公演後の質疑応答の時間に、韓国のお客さん(30代から40代の女性の方)から、「(ムリしないで下さいねという言葉を受けて)でも、ちょっと無理すると先に進みますね」というセリフがあって(日本語で)そのセリフを私に向かって言って下さいとうるうるした感じの目でおっしゃっていた。その瞬間を見て、あっ同じなんだな、と思いました。劇団員がそのセリフをお客さんに向けて言ったら、すごく嬉しそうにしてくださっていました。だから、国が違ってもみんなキツイこととかは一緒なんだなと思いました。 森國 キツイことですか? 後藤 生きてて、キツイことはたくさんある。それでも新しくなりたいとか進みたいなってみんな思っているんだなと感じた。 森國 そういう感覚が日本人とか外国人だからとか関係なくということですか? 後藤 考えてみたら同じですよね。同じ人間なんだし。それが私達の芝居で伝わったのを感じた。 森國 百瀬さんは逆に言葉に頼らない感じで、作品を作られていて、海外でやってみたことで言葉に頼ったほうがいいなと思ったとかありますか? 百瀬 言葉に頼ったほうがいいとは思っていないですね(笑)。韓国で言葉を通じない人の前でやるっていうことを念頭に置いて、その過程で言葉がなくなっていった。そういう意味では僕の中では面白い創作でした。交流っていうのが大前提にあって、交流っていうものはなんだろうっていうのはよく分からなかったので。ただ一緒に遊ぶだけ、仲良くやるだけだったら誰でもできる。演劇的な交流というものを今回個人的にも探したかった。 (HANARO projectは、日本の戯曲を韓国の劇団が上演して、韓国の戯曲を日本の劇団が上演するという企画だったので)おそらく、韓国の演出家のパクさんはパクさんで、日本からの島田佳代さん(*演劇集団非常口 代表)の戯曲(*四畳半の翅音)と向かい合った結果、悶々と言葉に関して考えて作品ができたというところが演劇的な交流で面白いところ。そういう意味では僕の団体も向こうの団体も、演劇的な交流ができた。そういうことをやらないと演劇をやる必要がない。今回の作品の成果としては、そのあたりになると思う。 日下部 百瀬さんは、交流なんかできるのか?っていうのが最初にあったじゃないですか。 百瀬 そうですね。できないっていうスタンスからのスタートだったので。 日下部 それが大事な問いかけだなと思って。その視点から入るのも面白いかなと思う。 森國 先ほど、作品を作っていくことによってどこにいっても同じだな、というのをおっしゃっていたのが印象的だなと思いました。今回は釜山でということでしたけど、釜山じゃなくても他の地域でも普遍的な部分がある作品を作ることに繋がったのかなと思ったんですがいかがでしょうか。 百瀬 (言語に頼るということではなく役者の身体や言葉で伝えていくという)結論として僕の作品は、どこでもいけるんだということになった。(そういう手法を取らずに)ガチガチの翻訳物をやろうとすると数年間のプロジェクトになるのでそうなると公演までが難しいんじゃないですかね。 森國 『クリスマスに30万ウォンと出会える確率』という作品は、もともと韓国語から翻訳された状態の日本語で稽古を始めたということを伺ったんですけど、だんだん他の言葉を入れていったという感じなんですか? 百瀬 ずっと日本語で稽古していたけど、だんだん日本語を禁止にしていった。そのことの方が、僕が分かりたいことが分かってくるような。言葉を付けたほうが、通じないもどかしさに触れられる気がしたから。いっそのこと日本語も捨ててしまおうという風にした。 森國 通じないもどかしさとは、何が誰にどう通じないという意味ですか? 百瀬 言葉の意味で分かってしまうもどかしさって、日本でもよく感じていて、「そこじゃないんだけどな、演劇的には」と、すごく思っていることがあって。そこの気持ち悪さみたいなものが、今回の公演を通じて、いさぎよく取っ払うことで、なんとなく違ってきた感じがしたので、僕としては収穫が大きかった。 森國 役者さんから、何カ国語も話さないといけない部分について、これ以上言葉(言語)を増やさないでくれ!みたいなことにならなかった? 百瀬 役者の反乱の声は聞かないようにしている(笑)。 日下部 日本で日本人が見るのと、釜山で韓国人が見るのとではだいぶ違う。釜山公演では、きっちり字幕が出ていたので。 百瀬 ふりかえると難しかったと思った部分は、こちら側で字幕を出しているスタッフの字幕を出すタイミング。現地の反応が読めないので、そこはやっぱり早すぎたり、遅すぎたりっていうことがあった。そういった部分のツメができなかった。 森國 山下さんは、今回日本語と、韓国語を織り交ぜた作品をされていましたが、脚本を作る段階から韓国語と日本語を織り交ぜていたんですか? 山下 そうですね。逆に僕は釜山に特化して書いているので、釜山と福岡のその場所を題材にしているので、他のところではできない。大阪で行って公演したり、ソウルに行ったりしてもあんまり意味がないものになる。この公演が始まった時から、僕が持っていた韓国のイメージを壊してくれた韓国の人たちへの恩返しみたいな部分があって、もっと「こういう釜山という都市があるんだよ」っていうことを知ってもらうために公演をしたようなところがある。トタトガっていう芸術支援団体が釜山にはあって、いろいろな支援してくれるんだよっていうところを紹介したいという思いもあって公演した部分がある。それは今回の公演で達成した。それが成果。あとは、日本語と韓国語を入り交じっている本も書けるんだなと(笑)。 森國 最初から韓国語を取り入れて、日本語と韓国語の入っている作品作りを通じて戯曲のレベルアップに繋がったと思われましたか? 山下 戯曲についてはそういったことを思わないんですが、韓国語と日本語が交差する芝居・メソッドのような新しい形が出来たというのが、自分の中で「あっ!こういう方法もありなんだな」というのは発見しました。 あとは、向こうの演出家の人からは、「山下の発想はいいんだけど、演出が面白くないんだよね!」と言われたりした(笑)。そういうことを普通に言ってきますからね(笑)。細かいアドバイスなどもどんどん言ってくれた。そこは、勉強しなくちゃいけないところなんだろうな、今から先。そういうことを新しく気づかされたし、最初から求めていた部分でもあるので。韓国の演劇という形に対して、そういう成果は得られたし、これから先も、もっともっとつながっていきたいと思っています。 日下部 釜山に行った印象として、けっこう男性の演出家しか見ないんですよね。軍隊の習慣からなのか、ピシっと上の演出家の方に後輩の演出家が直立不動で聞いたりという光景があった。それを見て、俺もちゃんとしないと!と思った。 森國 逆に年下の人は意見を言いにくい環境? 日下部 それは肯定的に見えたし、厚みがあるなと思った。謙虚に先輩の演出家の意見を聞くという姿勢。かと言って、議論をし始めたらまた違うと思うけど。何か本番前でもアドバイス受けたりしていた。福岡ではそこまでないよね(笑)。 山下 (日本だと)芝居が古いとか、新しいとかっていうことはお互いに言いますね。 日下部 本音は分からないけど、先輩の演出家からアドバイスをもらったら「はいっ!」って返事をしたりしていた謙虚な姿勢があるなぁと感じた。 山下 韓国で驚いたのが、先に先輩たちだけで集まって打ち上げが始まって、途中で本人たちが来て(公演について)言いたいことを先輩たちが言うだけ言って、先輩たちは先に帰っていくというのがあった。独特な文化だなぁと思った。
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主催・協力等
主催:NPO法人FPAP
後援:九州地域演劇協議会