永山:こふく劇場の永山です。劇場でいうと、三股や門川などで遊ばせてもらっている。昨年10月から宮崎県立芸術劇場のディレクターになっています。
さて、まず話の取っ掛かりとして、一枚の新聞記事から入ろうかと思います。「実る小劇場劇団」と題した3月16日の朝日新聞です。ここでは、リージョナルシアターに招かれたF’s Company(2006年)と劇団0相(2007年)を挙げ、九州の劇団が活気づいてきた要因として、泊さんの存在と地元の公立劇場の存在を示しています。
まずは、この辺の話をF’s Companyの福田さんからしていただけますでしょうか。
福田:リージョナルシアターは、地域創造の方から話があり、応募したら受かりました。推薦はブリックホールからいただきました。アドバイザーとして平田オリザさんが付いてくださり、4回くらい会ってお話いただいたり、あとはメールでやり取りしました。 (ここでリージョナルシアターに出展した作品『ロン通り十三番地』の映像が流れる)
岩永:市民参加舞台で泊さんの代表作である「生態系カズクン」を泊さんの演出でしたのですが、そのときに福田くんに演出補佐をしてもらったり、泊さんの戯曲講座で作られた戯曲を、福田くんの演出で上演したりと、これまでの実績があったのを踏まえて推薦しました。
河野(0相):僕は熊本県立劇場さんの推薦でリージョナルシアターに出る事になりました。熊本リージョナルシアターを地域創造の方が観にいらっしゃっていて、そのときにお声かけをいただいたんです。 (ここで最近の作品『ラバーゾール』の映像が流れる)
本田:熊本のやつもリージョナルシアターなので、紛らわしいですが、地域創造に申請するときに同じ名前の方が通りがいいかなと思って、真似させてもらったんですね。そしたら通りまして、2年間助成金が出るようになりました。
永山:リージョナルシアターには泊さんはずっと関ってこられていますね。
泊:そうですね。東京のは99年の第一回目に出させてもらっているし、その後ももう一度参加しています。熊本のリージョナルシアターにも第一回目に参加させてもらいました。
永山:泊さんと長崎ブリックホールとのつながりはどこからできているのでしょう。
岩永:戯曲講座をやると決まった時に、どうしていいか全くわからず、とにかく面識もなく泊さんに会いに行きました。
泊:そうですね。いきなり会って話して、その後飲みに行ったりしましたね。その時の戯曲講座で、最終的に上演した戯曲は52歳の眼科医の方の作品でしたね。
岩永:はい。『宮さんのくんち』という作品で、劇作家大会でも最終選考まで残った作品です。市民参加舞台として上演したのですが、同時進行していた舞台美術WSの実演の場でもあったんですね。
(ここで『宮さんのくんち』の映像が流れる)
永山:泊篤志が九州の演劇界を覆っているという感じですね。ただ、ここまで大きくなると妬みみたいなものはないんでしょうか。例えば、去年上演された『IRON』は飛ぶ劇場と北九州芸術劇場の共催ということになっていましたが、どちらにも泊さんが所属されているわけですよね。その辺りどうなんでしょうか。
泊:『IRON』の役割分担としては、分かりやすく言うとハード面を劇場側が、ソフト面を劇団側が受け持ったという感じです。例えば、いつも劇団員が自分たちで作っていた大道具を劇場に作ってもらったというところです。妬みに関しては多少あると思いますが、文句言われない作品を創り上げていると思っています。
高崎:福岡でもそういう話は聞かないですね。北九州の環境も考慮が必要で、飛ぶ劇場のように突出していると文句のつけようがないでしょう。また劇場側も細かい配慮をしていて他の劇団への支援策を用意したりしています。その辺の配慮がなければ文句は出るだろうと思います。
永山:長崎はどうなんでしょう。福田さんとブリックさんとの関係についてなどは。
福田:下の世代にコンスタントに上演をしているという劇団がないので、仕方ないところはあります。僕自身もそのことは考えていて、福田ばかり使わなくてもいいよというような事は言っています。
岩永:長崎にも泊さんのようなスターを作りたいという話があって、じゃあ福田をヒーローにしようという考えで動いています。他の劇団の目標になればと思っています。上司などからは福田くんばかりというのはどうかと言われる事もありますが、そういう理由で説得しています。福田くんは期待にこたえて結果も出せています。リージョナルシアターでの公演も経て、市の買取公演で、初めて地元劇団(F'sCompany)を採用するということになりました。そろそろ市民参加舞台の中から新しい人を見つけ、平行して育てていけたらと思っています。
福田:行政のサポートは大事だと思います。僕はサッカーが好きで、オシムが好きなんですが、なぜオシムがいいかと言うと、Jリーグで結果を出した人をきちんと呼んでいる。買取は目標になります。
河野(門川):私は門川町総合文化会館として、永山さんに10年付き合ってくれと言いました。永山さんと出会う前は買い取り公演ばかりをしていたけど、東京プロデュースが全てではないと気がつきました。永山さんを宮崎の近松門左衛門にしようという意気込みで取り組んでいます。
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