日時 |
2018年2月7日(日) 19:30〜21:00 |
会場 |
ゆめアール大橋 大練習室(福岡市南区) |
講師 |
福永郁央(あなピグモ捕獲団脚本・演出)、松岡伸哉(ヒカリノオト脚本・演出) |
作家 |
馬場佑介(福岡大学4年生/Yb(イッテルビウム)脚本・演出) |
脚本 |
CLEAR(一寸先はパルプンテ卒業公演) |
進行 |
高崎大志(NPO法人FPAP 事務局長) |
記録 |
豊岡舞(NPO法人FPAP) |
-----------------------------------------------------------------------------
ページを追って、気づいたことや気になったこと(2/3)
-----------------------------------------------------------------------------
(11ページ〜) 福永:このへんで、勇者についていくことのメリットみたいなことが、笑いの中で世界観を表しているかと思ったけど、そこがよくわからなかった。勇者についていけばお金がもらえるとか。 高崎:ゲームの世界観(勇者についていくという)があるから、いいかなとも思ったが、、。でも確かに。同じセリフ量で入れることもできそう。 福永:(喧嘩して、勇者の強さがわかるシーン)このへんが、セリフに頼らずに勇者の強さを表現できているところかなと。 高崎:演出はアイディアが必要そう、、、 福永:たとえば、紙芝居でやってしまうというのも選択肢のひとつ。松岡くんだったら? 松岡:ぼくは、こういうのはやったことがない、、、(笑) 高崎:(松岡さんの芝居は、人がぶっ飛ぶとか)物理法則に逆らわなくていいので(笑) 福永:数メートル、ふっとぶとなったら結構広い会場、、 高崎:ちょっと痛がるとかじゃ、弱いし、、、 福永:一回暗転して、人が上から降ってくるとかね、、、 高崎:それで、暗転使っちゃう?(笑) 福永:いや、落語家が出てきて、、、、、(笑) 福永:清原が打つのは、バットか、注射器かのところだけど、、、、 高崎:(打つなら)ボールか、、、 福永:このボケは、ボケなのか、ハイセンスなのか、、、、(笑) (13ページ〜) 福永:魔王を倒すことの命題が欲しいかなと思う。それをやらないとまずいことになるというのがあれば、最後のシーンでヒジリが戦うシーンにも効いてくるのではないか。 高崎:ゲームの世界が軽いから、脚本のバランスがとれているなとも思うが、、、 福永:もちろん。しかし、設定が重いのはかまわない。見た目がライトであればいい。 (14ページ〜) 高崎:内輪ウケのところはどうでしょう 福永:皆、仲いいなと 松岡:稽古場楽しそうだなぁと思う。稽古場はきっと楽しいんだと思うから『殺すぞ』もきっとみんな笑うと思う。だから、気づけないところになるのだろうと。微妙な、魔王を倒す理由も稽古場では笑うから、気づけない。 福永:モチーフとしては、誰しもが知ってるモチーフを取ろうとはしている。仲間内とのネタと誰もが知っているネタをそろえていて、多岐にわたるなと思う。 (15ページ〜) 福永:16ページまでのゲームシーンがキモだったと思う。ゲームの設定やなぜこのような設定なのかが説明できると、飲み込みやすいかなと。逆に、現実世界はこれからやっていくということでも待てるかなと。もうちょっと説明も欲しかった。 高崎:ここで出てくる本が、ゲームと現実を繋ぐアイテムとして、、、 松岡:これは、なんで、オガタが持ってたの? 馬場:、、、、 福永:オガタくんが、稽古場で質問してくるようにしたね(笑)。そういうことするよね。俺も、なんでなのかはすごい探した。モチーフの回収がわざとないのかできてないように思えた。(メモを取り出して)オノヨーコ、古い本、魔王、幸福論、その他の職業、弟母親、父親の不在、なによりヒジリ。主なモチーフの回収(ができているのか)? 福永:ヒジリと名付けられたアイコンは、トウマがプレイしているプレーヤーなのか、ここがストンと落ちないと気持ち悪い。最後の終わり方が腑に落ちない。 高崎:ストーリー上の都合で、オガタが拾ったのかなと、、、 松岡:オガタくんがお母さんやりますもんね。そういうのもいろいろ考えた。 福永:そうだよね。でも落ちないね。 松岡:落ちないですね。なぜ、オガタがこの本を持っていて、そして落としていったのかというのは(わからなかった)。 福永:なにか、理由があるなら、、、 馬場:いろいろ、お客さんに解釈できるような作品したほうが良かったのかなと思いながら書いていて、色々なルートを用意したけど逆にそれが、、 福永:自分たちは、まんまと「これ何だろう」と思った。 高崎:普通、お客さんは1回しか見ないから、疑問も持たれずにスルーされるのかも。お二人は何回も読んでいるので、、、 馬場:扱っている題材とか、仮想世界を説明しようと思ったら、2時間じゃ収まらないなと思って、重箱の隅をつつくほどまでは説明しないほうがいいのかなと思って、書いた部分がある。 福永:しかし、世の中の2時間で終わる映画などは2時間で説明できているわけだから、そこを作家として諦めるのは、大人過ぎるのかも。 高崎:わかるように説明するということではなく、明確な世界観を持っていて、想像したいお客さんのためには、いくつか標石を置いておくということ? 福永:お客さんに余地を与えるのはいいことだけど、言葉の持っているコミュニケーションに余地を持たせてあげたほうが、作家としてはいいのかなと。
福永:こういう設定の中でこの人たちは生きてるんですよね、ということに割いている量が多いんじゃないかと思っちゃう。 高崎:例えばでいうと、、、 福永:落語家に本を持たせて、少しだけ触れるとか。途中から突然出てくるから、お客さんはそこにストーリーがあるとおもって追いかけてしまう。けど、そこにはないわけで。 それがわかるのが中盤だから、書いてる感じが下手に思える。同じように、壁男の登場も遅いかなぁと思う。 (20ページ〜) 福永:ちなみにこの「◯◯リピート」って曲のタイトルですか? 馬場:そうです。フレデリックが好きで、、、 福永:俺も好きよ 福永:19ページもキモかなぁと。ただ、ここに痛みが現れたらいいなと思った。ヒジリの。 高崎:この、勇者っていうのがなんなのっていう、、、役割を真ん中に立ってはたしてるのが勇者だから、モラトリアムにいる人とはかぶらないような、、、 福永:勇者は夢を追いかけている人ってことじゃない。就職せずに芝居を続けるとか小説を書く人を投影しているのだとしたら、その苦労は周りには理解してもらえないわけだから、その苦労をにじませたほうがいいかなぁ。 高崎:魔王を倒すっていうのは、何かを達成したという感じがする。 福永:これは、ひとつプロジェクトを達成したってことなんだろうけど、作家なら、そこにゴールはなくて、、という意味合いかなと思って、、、けど、それは良い方に解釈しすぎなのかもしれない。 高崎:ここで、ゲーム世界と現実がごっちゃになる? 馬場:似せた構図のシーンを続かせて『リンクしているんじゃないか?』というのを見せたいと思った。 高崎:お客さんは混乱しないだろうか、、 福永:そこは褒めるべきかなと。現実に出てきたものとか人と関係がもう一個の世界にはんえいされていくところで、いいなと思う。
松岡:これ、衣装はどうなるのかなぁ。衣装がネックかなと思う。 馬場:衣装は、、、、 高崎:これは、作家の立場で、どうあってほしいで答えて大丈夫だよ。 馬場:Tシャツの色とかで早着替えができるようなもので表現したいなと思った。 福永:説明したいってこと?こっち側とこっち側が違うということを。 馬場:あまり説明したくない。逆に。 松岡:一人が他の役もやるじゃないですか。明確に変わるのか、Tシャツの色だけで変わるのか、、、 馬場:いまのところぼんやりと考えているのは、アイテムが増えるとか、それくらいで変えようかなと。 福永:その手の質問は、稽古場で必ず出てくるから。クリアにしていかないと、答えていかないといけない。 高崎:オガちゃんだから、お母さんなのか、、 オガタが母親に似てるってとこでわかった。 福永:2回目、読んでわかった。最初にちゃんと登場人物書いたほうがいいと思うよ。配役の人の名前はかかなくていいけど、何役が何役をするか。 松岡:ト書きでもいい。 福永:他の人がこの戯曲でやりたいと思ったときに、困って、それで意味が変わることもある。 福永:俺が好きなツッコミが「なんかよく混ざってそうな名前だな」。これくらいのクオリティを全てのツッコミで見せて欲しい。 高崎:ノルよっていうは、本番で鉄板受けするってこと? 福永:誰がやっても、ウケるという意味。例えば、意味がわからねぇよでも、古田新太がやれば8割はあてる。松岡くんは2割かもしれない。 (26ページ〜) 福永:この作戦会議から作戦会議っていうのは俺はいいと思った。さらに言うと、現実シーンに出てたままのキャラクターで、仮想側に行けないって小ボケをやって、まぜこぜにしてくれると、、、 高崎:いやいやいや(笑) 福永:まぜこぜにした方がいいって。本人も整理できてないところがあるから、整理できてないまま書いたほうが、あるいは奇跡的なものが生まれるって。 高崎:それは、一理あるかも、、。でも、そうしちゃうとこの芝居の世界感のルールが壊れてしまう、、 福永:(笑) 福永:この本を読んで、最初に真面目だなあと思った。もうちょっとふざけて、エンターテイメントに徹底する、か、哲学に徹底するのがいいんじゃないかなと思う。中途半端かなぁと。 高崎:いやいや、いいバランスだと思いますよ 福永:(笑) 高崎:経験の蓄積があるから、勇者がどんどん強くなってのトコロ。前半からつながっていて面白いところだと思いますが、、、 福永:問いに答えてるのかなぁ。なんでヒジリがなんども勇者に選ばれるのかっていうところ。 松岡:たしか、答えてないと思います。壁男がそれらしいことを言うけど、、、魔王が選ばれる理由も特に明確な何かはなかった。 高崎:そこは、そういう前提として、読んだ。 福永:もし、余力があれば、死に際の魔王が、ざまあみろというようなセリフをいってほしかった。みんながなりたいもので書いたわけじゃないだろうと思って。というのもひとつの手かなと。 高崎:自分の中では「トウマ=ヒジリ=主人公」なので、それ以外の設定が、多少都合よくなるのは、仕方ないのかもなと思った。 福永:まぁ、そうだけど、でも、正確に伝えたいよね。どうせ書くのなら。変なニュアンスで、伝わらないまま評価されても嫌だよね。 福永:漱石がいつも大賢者に選ばれるのは、、、 馬場:ぼくの中の設定としては、このちょっと先のシーンになるんですけど、現実の漱石が肉体を捨てることによって自由になれる、というのを、ゲームの中の漱石も実は気づいてて、実は(肉体を)捨てているというか。 福永:それは、『実は肉体を捨ててる』というのはお客さんにも分かったほうがいい。絶対書いたほうがいい。絶対に伝わらない。 高崎:書いても伝わらない可能性もありそうだが、、、 福永:そうだけど、書かないよりは書いたほうが。 高崎:書くとするなら、明確に説明できないとしても、なにか理由らしいものは言われたなということが(お客さんに)わかるくらいだろうか。 福永:(たとえばだけど)その説明を直接しなくても、主人公と漱石の関係性を書いたら、なにかあるんだなということは伝わる。 (28ページ 壁男登場) 高崎:この世界の記憶がクリアされないことのほうがよっぽどおかしいと思ってるんだよねのセリフですが、、、 松岡:記憶については、理由付けがしっかりしていたような感じはなかったです。 福永:記憶がつながっているエピソードはあるが、記憶がなくなっているエピソードがないから、対比がしずらい。記憶をなくしている人が出てきたら、見てる人はわかるから、そういうエピソードがあると良かったかも。全体的に必要なエピソードが不足している感じがする。 松岡:素材がすごく面白いと思う。だけど、その素材をちゃんと調理せぬまま投げっぱなしな感じが、全体を通して感じられる。 高崎:コペンハーゲン解釈も素材として面白い部分だと思うが、演劇としての魅せ方はどうだろうか。ドスンと落ちてきているだろうか。 福永:これも、(伏線的なものを)早めに出したほうがいいと思った。 松岡:この瞬間に初めてこの(コペンハーゲン解釈という)言葉が出てくる。そして、初めて説明される。っていうので、ちょっと早めに出したほうが。 福永:小さな事象でいいと思う。たとえば、フレンチトーストを食べたとする。で、なにか味がしないみたいに言う。それって「コペンなんとかだよね」みたいな。その説明は違っていてもかまわない。 高崎:エピソードを出しておいて、「それ、なんとか解釈っていうんだよね。思い出せない」とかでもいいのかな。 福永:いいと思う。 高崎:この(コペンハーゲン解釈という)ワードを、このタイミングで初めて出したかった、ということだよね? 馬場:そうですね。 福永:若い頃にはよくあるけど、出し惜しみ感が凄い。でも早めに出したほうがいい。後半に出すと最後まで謎のまま終わることが多い。
|
主催・協力等
主催:NPO法人FPAP
後援:九州地域演劇協議会