2008.11.24 Monday | 番外編
6月の「第二回観劇ディスカッションツアー」に続いて参加させていただきます、亀井です。
「ワーニャ伯父さん」、登場人物たちとそれを取り巻く状況の、いろんな意味での "しょうがなさ" が胸に迫ります。
信じていたものが崩れ去って何もなくなってしまい、しかもやり直すには遅すぎる。もうどうしようもないから、"しょうがない" と諦めるしかないけれども、諦念から生まれるなにかもあるわけで、それが希望と呼ばれるものなのかもしれず……。
という具合に、何度読んでもぐるぐると考えがまわってしまって感想らしい感想も書けない感じです。チェーホフの四大戯曲の中ではこの作品が一番好きなので、簡単に書けるつもりだったんですけど……。
地点の公演とその後のディスカッションで、別の角度からの意見に触れられるのが楽しみです。
2008.11.23 Sunday | 番外編
なかなか書けずに申し訳ありません〜。
遅ればせながら、『ワーニャ伯父さん』…読みました!
…なんて人間くさいんだろう…が一番の感想でした。
人間って100年経っても同じなんだな、と…当たり前かもしれませんが感じました。
卑屈さや嫉妬深さ、嘆き、絶望…あらゆる人物のそんな感情が行き交い、花火のように散った後のソーニャのラストの台詞が印象的でした。
一言が深い…。
タイトルにされているのはワーニャ伯父さん…彼にスポットをあてていることにも妙な深みを感じました。
最初は名前がややこしくて読むのに苦戦をしましたが…読み終わってみると、不思議と登場人物達の豊かな表情がこの目で見たかのように残っていました。
なんだか…面白かったです。
劇団地点さんがどのような作品にされるのか、とても楽しみです。
2008.11.23 Sunday | 番外編
チェーホフは「ワーニャ伯父さん」を、喜劇でも悲劇でもなく単に「田園生活劇」と規定した。
地点の三浦さんもおっしゃっているように、地味な話である。
しかしながら、平均週二回上演された「ワーニャ伯父さん」は連日超満員、熱狂的なカーテンコールが繰り返されたそうだ。
舞台はロシア。1890年代半ばの森に囲まれた大きな屋敷。白樺を育てる話が出てくるので、北の方だと予測される。
そこで領地を経営する中年男イワン・ヴォイニーツキイを若い姪のソーニャが手伝っている。
彼女にとってヴォイニーツキイは、いつまでも大切な「ワーニャ伯父さん」である。
そのほか、ソーニャを育てた乳母マリーナ、没落地主で今は食客になっているテレーギンが同居している。
時々、森林の育成を生きがいにする医師アーストロフが訪ねてくる。
夏のはじめ、ソーニャの父セレブリャコーフが、教授の職を退き、若くて美しい後妻エレーナをつれてこの田舎屋敷に戻ってくる。
このセレブリャコーフ教授が大変身勝手なじじいなのだ。
遅くまで書き物をし、夜中に呼びつけてお茶を入れさせ、
自分の老いと病を愚痴りまくる。
早寝早起きで健全だった一家の生活は、彼が現れたことで暮らしの軌道が外れてしまう。
ヴォイニーツキイはこの教授を崇拝し領地収入を捧げてきたのだが、
最近すっかり失望してしまい、その反動のように彼の妻エレーナにしつこく言い寄りはじめる。
その様子を皮肉な目で見ていた医師アーストロフも、夏の後半には仕事を放り出し、エレーナを誘惑する。
密かにアーストロフを慕ってきたソーニャはエレーナの登場により、恋の望みが立たれるのではないかと感じている。
やがて9月に入り、物語が大きく動き始める。
ちやほやされた現役時代を忘れられない教授は、もう一度都会で暮らすため、
領地を売って利回りのいい有価証券に変えようと言い出すのだ。
これにより、ヴォイニーツキイの怒りは爆発する。
なぜなら、この領地はかつてヴォイニーツキイ家がソーニャの母に与えたものだったからだ。
ヴォイニーツキイは教授めがけて二度ピストルで撃ってしまう。
・・・が、二度とも外れる。ああー。
最終幕、教授と妻エレーナは手近な都会ハリコフに引越し、
和解したヴォイニーツキイは「今までどおり金を送る」と約束する。
そしてみんなもとの生活に戻り、
一度は自殺を考えたヴォイニーツキイと、恋を失ったソーニャは、
やがて天国で休める日まで働いて、耐えて、生きていくしかないのだと、
夏におざなりにしていた農作物の伝票を書き始める。
とここで終幕。
このシーンのソーニャのセリフはチェーホフ劇の中でももっとも美しいとされており、
チェーホフの友人だったセルゲイ・ラフマニノフ(のだめでおなじみ)は、
このセリフをもとに歌曲を作っている。
時代も国も違う戯曲だったが、大変面白かった。
わかりやすい小田島雄志氏の訳と比較的新しい小野理子氏の訳、
そして地点がテキストで使用している神西清氏の訳と3パターン読んだが、
頭の温かい私には小田島訳が一番なじんだ。
これから初めてチェーホフを読むよ、という方にはオススメです。
「ワーニャ伯父さん」には現代の日本人にも共通する部分がたくさんあり、
読み物としては本当に面白かったのだが、
ただこれを日本人が演るとどうなるのだろうと思う。
いくら日本語に翻訳されていて、共感できる部分があるにしても、
これはロシアの話。日本人ならこういうこと言わないよな、みたいなところがやっぱりたくさんある。
素直に上演したら新劇によくある違和感を感じそうだ。
いくらロシアっぽい服を着てそういう舞台装置を作っても、
顔や言葉が日本ではちょっと滑稽だなぁと思ってしまう。
新劇が嫌いなわけではないのだが、むしろ好きなのだが、もし私がこの戯曲を演出するとしたら日本人がやる意味を持たせたいな、と思う。
まだプランはないけども。
2008.11.21 Friday | 番外編
こんばんは。
福岡で活動する「劇団ぎゃ。」の主宰・脚本・演出・ハレンチ芸人を担当しております、中村雪絵というものです。
先週の土曜日に公演を終えたばかりなので頭がぼわぼわしており、
上手く文章が書けていない可能性が濃厚ですが、何卒お許しください。
私の所属する劇団ぎゃ。は20代前半女子8名で構成された
超セクシー劇団です。
少し驚くべき場所で
少し驚くべき役者とスタッフが
少し驚くべき企画を
をコンセプトに、「演劇」をもっと身近な娯楽とするため、
オーケストラ、バンドの生演奏や映像、ダンス、主宰による一人コントなど、
様々なパフォーマンスを意欲的に盛り込んだ活動を行っております。
・・・もし、ご興味がございましたら、こちらを覗いてみてくださいませ。
http://www.gekidangya.com/
超セクシーは嘘ですけどね。
ここのところ露出の激しい(もちろん、肉体的な意味合いで)私でございますが、観劇ディスカッションに参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。
ワーニャ伯父さんの感想は明日!!
2008.11.21 Friday | 番外編
ご挨拶が送れて申し訳ございません。
大分県大分市で活動しております、「演劇ユニット水中花」の代表の日下渚と申します。
演劇ユニット水中花は、2008年1月にようやく旗揚げ公演を行った、できたばかりの演劇ユニットです。一応、私が作・演出をしております。まだまだ勉強中の身でございます…。
仕事や家庭を持ちながら演劇を続けることの困難さゆえ、大分の劇団は解散・分解していくことが多く、どんなスタンスなら演劇を続けやすいだろうと考えた結果…メンバーが期間内だけ打ち込んで作品を作るという期間ユニットとして結成することとなりました。
現在2009年1月の小公演に向けて稽古を重ねておりますが、自分の未熟さを痛感することも多く…今回このような企画に呼んでいただき、喜ばしくもあり、恐ろしくもあり…色んな意味で楽しみにしています。
次回、「ワーニャ伯父さん」の感想を書こうと思います!
とりあえず、ご挨拶でした〜!
2008.11.21 Friday | 番外編 > 事務局
三坂です。
さて、いよいよディスカッションまであと3日となりました。
今回のためにワーニャ伯父さんを初めて読んだのですが、
意外なことにおもしろかったです。
翻訳ものの小説が苦手なので、外国戯曲はあまり読んでいなかったのですが、もっと早く読んでればよかった!と思いました。
さてさて、参加者が1名増えましたので、お知らせいたします。
前原寿代さん<劇団ぎんてつ(久留米)>
が、新たに加わりましたので、どうぞよろしくお願いいたします!
2008.11.10 Monday | 番外編 > 事務局
FPAP三坂です。
11月にぽんプラザでおこなわれる劇団地点「ワーニャ伯父さん」を観劇し、参加者間でディスカッションをおこないます。
今回は、(財)福岡市文化芸術振興財団の協力により、参加者間のディスカッション後に、演出家の三浦基さん(劇団地点)をお迎えし、さらにディスカッションをおこなうことができるようになりました!
今回の参加者は
亀井純太郎さん<劇団第七インターチェンジ(熊本)>
中村雪絵さん<劇団ぎゃ。(福岡)>
日下渚さん<演劇ユニット水中花(大分)>
となっております。
このブログには、参加者のみなさんが事前に「ワーニャ伯父さん」を読んでの感想やディスカッションの感想を掲載していただきます。
どうぞよろしくお願いいたします!
観劇ディスカッションツアーの様子を「しのぶの演劇レビュー」にアップしていただきました!
(高野しのぶさんの演劇レビューです。)
素晴らしい・・。
しのぶの演劇レビュー
http://www.shinobu-review.jp/mt/archives/2008/0722170023.html
「密八」レポート 田坂哲郎
「劇団コーヒー牛乳」第21回公演 下北沢公演第二弾
『密八』 作・演出 柿ノ木 タケヲ
この芝居について、劇団HPには、こうある。
「鍛え上げられた八人の男優陣が12日間にわたり、『密』 な空間と『蜜』な時間をお届けします。」
密な空間で、八人の男優が演じる芝居だから、「密八」・・・。このタイトルからわかるように、この芝居の主役は役者である。密空間とは、つまりは小劇場空間のことであり、舞台の設定が密室というわけではない。狭い小屋で男が八人汗水たらしてお芝居します、という『好きな人にはたまらない』観劇状況こそが、この芝居の最大の見せ所であるといえる。
源頼朝・義経の話を下敷きとしたストーリーは非常にわかりやすく、人物の感情も明快だ。「生きるとは何か」というテーマが、そのまま台詞になって現れるほど、この芝居は観客に考えることをさせない。何も考えずただ楽しめる、というのは、エンターテイメントのひとつの正解であると思う。劇団のHPに、「ネオ大衆演劇」という言葉が出てくるが、まさにそのとおり。
一番ディスカッションで話題になったのは、やはり、役者の肉体、そして殺陣の技術ではないか。あれだけ狭い小屋(シアポケくらい?)で刀をぶんぶん振り回して、舞台装置にも当てず、最前列の観客にもヒヤッとさせることなく、きちんと完成された殺陣を見せている。普段の鍛錬と努力のたまものだろうな、という感じ。
アンケートが見開き4ページの大作で、かなり細かく作品の出来について聞いていたことも印象的だった。「今後どのような作品を見たいか」という質問欄があり、それはつまり、作家が書きたいものを書くのではなく、観客の見たがっているものを作家が書く、少なくともその可能性があるということだ。良い悪いは別として、かなり作品に対して割り切っている印象を受ける。自分の書きたいものより、観客の望んでいるものを優先する、というのは、なかなか出来ないことだ。一歩間違えれば媚になる。いや、いっそ媚びてでも、という思いがあるかもしれない。もっとも、もともと座付き作家が多ジャンルを描けるタイプの作家で、アンケートはあくまで参考程度なのかもしれないが。アンケートを書いたお客さんには特製缶バッヂをプレゼント。回収にも力を入れている。少しでもお客様の声を聞きたい、ということなのだと思う。
観客をものすごく大事にしている、ということが観客にも伝わっているのか、客席は「大ファン」で埋まっていたような印象を受けた。暗転の度に拍手が起きるというのは、ちょっと過去の観劇体験では初だった。結成から10年、21公演目にして初の「劇団員のみの公演」だから、普段見に来てくれるお客さんへのサービス公演の意味合いもあったかもしれない。それはたとえば、長すぎる(そしてストーリーに関わらない)物売り口上や、酒場コントの挿入から推測することが出来る。
最近、大先輩の劇作家さんに、「公演とは、お客さんとの約束を果たしていくことだ」と言われたのだが、ここの劇団はまさに、一回一回、約束をきちんと果たしていった結果としてここに存在しているのだろうと思う。だからこそ、チラシにストーリーが一切触れられていなくても、「密な空間で八人の男優が演じる」と書くだけで、観客は期待して(または安心して)劇場に足を運ぶことが出来るわけだ。
観客を大事にし、観客と共に成長していきたい、という姿勢は、古いながらも正しい劇団の姿勢を見た気がする。正攻法で攻めている。その思いが劇団内のみではなく、客席にまで溢れている感じがした。ただ、なんつうか、2,3、足りないな、と思う点があって、それがまだどこなのか具体的には言えないのだが、(確実に一ついえるのは、脚本の甘さだろうか。)その足りないな、と思う点は、もしかしたら自分の演劇に対する理想とのギャップかもしれないので、考え続けていきたいところであるなあ。