レポート:太田 美穂
2011.04.13 Wednesday | 第3回
○はじめに
私は、18の頃からずっと、演劇を中心に行きてきました。
「演劇をする事は生きる事」「生きる事が演劇である」と思っていました。
3月11日、日本は大変な事になりました。
当たり前だと信じていた日常が、当たり前でなくなってしまいました。
稽古も休みにし、観劇も行かず、
何をする気も起きず、毎日、情報を集め、過ごしました。
ディスカッションツアー、行くかどうか、迷いました。
色んな意見を、色んな人にいただいたのですが、最後には、「行く」と決めました。
私が東京に行く事が、自分の生きる理由に繋がるのかもしれないと思いながら。
○3/25 19:00 時間堂「廃墟」ワークインプログレス シアターKASSAI
昭和初期から終戦後の復興期にかけて活動した小説家、劇作家である、三好十郎氏の「廃墟」。
脚本は、「青空文庫」で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/49718_34062.html
敗戦直後の日本の精神風景を描かれています。
シアターKASSAIは、天井高約4m間口は5.5mの、小さな空間。
暖かい手作り感のある観客席。俳優の息遣いも感じる事が出来る間近な舞台。キャパは最大120とのこと。
舞台装置は極めてシンプル。
黒沢氏の演劇の定義が、ピーターブルックの定義に準じている、と書いてあったのを思い出しました。
「俳優と、それを観る観客がいること」
リハーサルが開始されます。
敗戦直後の東京が舞台。焼跡の洋間を舞台に繰り広げられる、家族の激論。
古い言い回し、長いセリフにもかかわらず、
俳優たちは、セリフに振り回されず、舞台上で呼吸をし、生きていました。
何度も、何度も繰り返される、痛々しい議論。
まるで、震災後の今の自分の精神状態を代弁してくれているかのようで、
動悸と涙が止まりませんでした。
このような居たたまれない関係性の家族の描写に触れる事で、
自分のこころが浄化されていくかのような、そんな不思議な体験をしました。
「信じていた勘違いの日常」が崩壊した今だからこそ、このような物語は、癒しになるのだと思いました。
その後は、劇場と劇団の方々のご厚意で、食事の席に混ぜていただきました。ありがとうございます。
その席で、黒沢さんの演劇論に触れます。
演出家の黒沢世莉さんは、スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学ばれたそうです。
「舞台の上で深呼吸できる俳優」を育てているとのこと。
何度も読み返している「俳優修業」ですが、黒沢さんと話す事で、また新たな発見がありました。
さらに、学びを深めたいと思いました。
客演の方が多かった事を知り、驚きました。
共通の言葉を多く有しているように見えたからです。
次の日のディスカッションは、大いに盛り上がりました。
緊張感のある会話をどうやって作るのか。
空間の作り方。立ち位置から作る関係性。リアクション。
セリフがない時の佇まい。
計算された上で、人が配列されているという話をしました。
今回のディスカッションで「ダメ出しをしない」と最初に約束した事が、良い方向に働いた気がします。
解釈についても、掘り下げました。まったく自分と正反対の意見も出て、大いに刺激になりました。
「自分だったらどう演出したいか」という話もしました。
私自身は、特に、三好十郎さんの、人間に対する絶望と愛情が伝わってきた事を、話しました。
すでにはじまっている新しい時代には、三好十郎さんの、真摯な人間愛に満ちた作品が必要なのではないかと思いました。
○3/26 14:00 ゲキバカ「ローヤの休日」王子小劇場
「精一杯、演劇をすることを誓います。」
パンフレットの挨拶の最後は、こう締めくくられていました。
大きめの地震など不測の事態が起きた時の対応避難路案内図などを見ると、
この劇団が、どれほど、お客さんを大切にしているかは分かります。
中央に舞台があって囲むように客席があります。
最初から、勢いのある役者の演技にびっくりしました。
観客席が、温まっていたところを見ると、ファンも多いようです。
物語は、監獄からの脱走劇。
死刑が確定している男のもとに、かつての仲間たちが現れます。
仲間たちと共に、男は脱出を図る…
…と、書いてしまうと、重く暗い物語。
劇中に織り込まれるダンス、マイムパフォーマンスシーンが、暗さを感じさせません。
ただ、明るいパフォーマンスが、さらに、悲しみを増幅させるようにも感じます。
ほぼ全裸の男性たちが、観客席を見ながら踊る姿は、ちょっと、目のやり場に困ってしまいました。
劇団名や、繰り返される下ネタ、派手なパフォーマンスに印象を奪われがちでしたが、この劇団の根底には、「愛」がありました。
セリフの端々、演出の優しさ、親切さ、「人を楽しませよう」というキャストのサービス精神から、ひしひしと「愛」を、感じます。
感情解放された役者が、生き生きと動きまわる。そして、観客は、ドキドキして、笑って、心を奪われる。
それは、ただ、ただ、ひたすらに、幸福な時間です…。
現実を突きつけられたようなショックを受けた「廃墟」と違い、
「ローヤの休日」は、非日常の空間から、生きるエネルギーをいただく事が出来るような作品でした。
役者が「お見送り」をしていました。
この劇団がいつまで、「お見送り」が出来るのかは分からないけど、
お客さんとの出会いを大切にしているからこそ、しているのだと思いました。
その後のディスカッションでは、マイムパフォーマンスのこと、
秀逸に折り込まれた効果音のこと、照明効果の素晴らしさ、
役者の技量の話をしました。
○3/26 パラドックス定数「Nf3 Nf6」アートコンプレックス・センター
アートコンプレックス・センターは、新宿区の閑静な住宅地にありました。
天井の低いギャラリーの一室に設けられた、シンプルな、空間。
極端に少ない照明。
パンフレットの言葉に、魅了されました。
「匂いを感じて温度を感じて感触があって、その次に音が聞こえて、最後に景色が見えるのです。」
野木萌葱さんは、このように、脚本の言葉を紡ぎだしているそうです。
脚本の言葉が出て来る時、まるで自分の意志とは別の何かに突き動かされて出て来る時があります。
それを「ひらめき」と呼んだりするのかもしれませんが…
野木さんは、いつも、そんな奇跡の中で、物語を作っているというのでしょうか?
そう思っているうちに、役者が出てきて、静かな観客席の空気が一気に変わりました。
明りが変わったか変わらなかったか気付かないまま、舞台上に注意が向かいます。
「Nf3 Nf6(ナイトエフスリー ナイトエフシックス)」は、
虐待が繰り返される収容所での看守と囚人の物語です。看守は将校、囚人は数学者。
「美しい。」
それが、最初に出てきた感覚です。
過剰なアクション・過剰な説明・情感ある音が、一切入りません。
そして、無駄な動きもありません。
役者がすっと立って、チェスを動かす。その一挙一同に目を奪われます。
観客席も、息をのみます。
無駄な動きがないからこそ、役者の立ち姿の美しさ、繊細な感情表現、息遣いを、とても大きく感じる事が出来ます。
こんなに静かで、感覚を震わす表現があるのだと思いました。
この物語でも、人間のドラマを感じる事が出来ました。
そして、観客の存在を、大きく感じました。舞台上の緊張が、観客席にも伝わり、ほっとするところでは、観客席もゆるみます。
脚本の構成が秀逸で、伏線の回収も衝撃的で、
美しい数学を見ているような、心地よさがあります。
ディスカッションでは、伏線の話、余分な力を抜くテクニック、感覚と計算の話をしました。
○3/27 青年団若手公演「バルカン動物園」
猿を人間に進化させるプロジェクトを研究している国立大学の生物学研究室を舞台に、
生命倫理の問題や日本人論、そして立場の違う人たちの倫理観などが描き出されています。
同時多発会話は健在で、どこに光を当てているのかも、計算されていて、
とても分かりやすく観る事ができます。
人間にとって普遍的な問いかけは、それだけで、心を揺さぶります。
脚本を読んだ時は平気だったのですが、
扱っているモチーフの生々しさに、具合が悪くなりました。
生の舞台ならではの、具合の悪さです。
終わった後も、めまいがして、暫く何も考えられませんでした。
ディスカッションも、言葉が少なめに。
ショックが大きくて、何を考えればいいのか、感じればいいか、分からなかったのです。
ただただ、「なぜ、この作品を生み出したのだろう?」という思いでした。
その後、平田オリザさんが、現れて、お話をしてくださいました。
若手公演ということで気をつけた事。
ダメだし内容は、6割がスピード、2割が抑揚、2割が動きのこと…
抽象的なダメだしは、殆どしないということ、
稽古期間の話、脚本のノウハウ…
…そんな、具体的な話を、細かくしてくださいました。
私は、迷いましたが、平田さんに質問をしました。
「なぜ、平田オリザさんは、このような物語を作るのですか?」
「このような脚本を書く事で、平田さんにはどんなメリットがあるのですか?」
私は、その時の、平田オリザさんの言葉は忘れません。
…
平田オリザさんは、いつも、重い命題を社会に突き付けます。
それは癒しではないかもしれない。時には苦しい時間なのかもしれない。
でも、人には、必要なものであると、信じて、作品を作っているのだと思いました。
○終わりに
最後には、「何のために芝居をするのか」「芝居とは何か」という話をしました。
私にとって…
演劇は、人と人との繋がりの中で、生まれる奇跡です。
演劇は、心に宿る暖かい光です。
演劇は、祈りです。
いま、時代は、大きく変わりました。
これから、もっと大変な時代が来るのだと思います。
そんななかで、私たちは、どう生きるのか、どう関わるのかを問われているのだと思います。
自分の無力さが辛くなってしまう時もありますが、
自分に与えられた体と環境に感謝し、やるべきことを、誠実にやっていく事が、私の仕事なのだと思いました。
この企画に関わってくださった全ての方に感謝します。
ありがとうございます。
私は、18の頃からずっと、演劇を中心に行きてきました。
「演劇をする事は生きる事」「生きる事が演劇である」と思っていました。
3月11日、日本は大変な事になりました。
当たり前だと信じていた日常が、当たり前でなくなってしまいました。
稽古も休みにし、観劇も行かず、
何をする気も起きず、毎日、情報を集め、過ごしました。
ディスカッションツアー、行くかどうか、迷いました。
色んな意見を、色んな人にいただいたのですが、最後には、「行く」と決めました。
私が東京に行く事が、自分の生きる理由に繋がるのかもしれないと思いながら。
○3/25 19:00 時間堂「廃墟」ワークインプログレス シアターKASSAI
昭和初期から終戦後の復興期にかけて活動した小説家、劇作家である、三好十郎氏の「廃墟」。
脚本は、「青空文庫」で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/49718_34062.html
敗戦直後の日本の精神風景を描かれています。
シアターKASSAIは、天井高約4m間口は5.5mの、小さな空間。
暖かい手作り感のある観客席。俳優の息遣いも感じる事が出来る間近な舞台。キャパは最大120とのこと。
舞台装置は極めてシンプル。
黒沢氏の演劇の定義が、ピーターブルックの定義に準じている、と書いてあったのを思い出しました。
「俳優と、それを観る観客がいること」
リハーサルが開始されます。
敗戦直後の東京が舞台。焼跡の洋間を舞台に繰り広げられる、家族の激論。
古い言い回し、長いセリフにもかかわらず、
俳優たちは、セリフに振り回されず、舞台上で呼吸をし、生きていました。
何度も、何度も繰り返される、痛々しい議論。
まるで、震災後の今の自分の精神状態を代弁してくれているかのようで、
動悸と涙が止まりませんでした。
このような居たたまれない関係性の家族の描写に触れる事で、
自分のこころが浄化されていくかのような、そんな不思議な体験をしました。
「信じていた勘違いの日常」が崩壊した今だからこそ、このような物語は、癒しになるのだと思いました。
その後は、劇場と劇団の方々のご厚意で、食事の席に混ぜていただきました。ありがとうございます。
その席で、黒沢さんの演劇論に触れます。
演出家の黒沢世莉さんは、スタニスラフスキーとサンフォードマイズナーを学ばれたそうです。
「舞台の上で深呼吸できる俳優」を育てているとのこと。
何度も読み返している「俳優修業」ですが、黒沢さんと話す事で、また新たな発見がありました。
さらに、学びを深めたいと思いました。
客演の方が多かった事を知り、驚きました。
共通の言葉を多く有しているように見えたからです。
次の日のディスカッションは、大いに盛り上がりました。
緊張感のある会話をどうやって作るのか。
空間の作り方。立ち位置から作る関係性。リアクション。
セリフがない時の佇まい。
計算された上で、人が配列されているという話をしました。
今回のディスカッションで「ダメ出しをしない」と最初に約束した事が、良い方向に働いた気がします。
解釈についても、掘り下げました。まったく自分と正反対の意見も出て、大いに刺激になりました。
「自分だったらどう演出したいか」という話もしました。
私自身は、特に、三好十郎さんの、人間に対する絶望と愛情が伝わってきた事を、話しました。
すでにはじまっている新しい時代には、三好十郎さんの、真摯な人間愛に満ちた作品が必要なのではないかと思いました。
○3/26 14:00 ゲキバカ「ローヤの休日」王子小劇場
「精一杯、演劇をすることを誓います。」
パンフレットの挨拶の最後は、こう締めくくられていました。
大きめの地震など不測の事態が起きた時の対応避難路案内図などを見ると、
この劇団が、どれほど、お客さんを大切にしているかは分かります。
中央に舞台があって囲むように客席があります。
最初から、勢いのある役者の演技にびっくりしました。
観客席が、温まっていたところを見ると、ファンも多いようです。
物語は、監獄からの脱走劇。
死刑が確定している男のもとに、かつての仲間たちが現れます。
仲間たちと共に、男は脱出を図る…
…と、書いてしまうと、重く暗い物語。
劇中に織り込まれるダンス、マイムパフォーマンスシーンが、暗さを感じさせません。
ただ、明るいパフォーマンスが、さらに、悲しみを増幅させるようにも感じます。
ほぼ全裸の男性たちが、観客席を見ながら踊る姿は、ちょっと、目のやり場に困ってしまいました。
劇団名や、繰り返される下ネタ、派手なパフォーマンスに印象を奪われがちでしたが、この劇団の根底には、「愛」がありました。
セリフの端々、演出の優しさ、親切さ、「人を楽しませよう」というキャストのサービス精神から、ひしひしと「愛」を、感じます。
感情解放された役者が、生き生きと動きまわる。そして、観客は、ドキドキして、笑って、心を奪われる。
それは、ただ、ただ、ひたすらに、幸福な時間です…。
現実を突きつけられたようなショックを受けた「廃墟」と違い、
「ローヤの休日」は、非日常の空間から、生きるエネルギーをいただく事が出来るような作品でした。
役者が「お見送り」をしていました。
この劇団がいつまで、「お見送り」が出来るのかは分からないけど、
お客さんとの出会いを大切にしているからこそ、しているのだと思いました。
その後のディスカッションでは、マイムパフォーマンスのこと、
秀逸に折り込まれた効果音のこと、照明効果の素晴らしさ、
役者の技量の話をしました。
○3/26 パラドックス定数「Nf3 Nf6」アートコンプレックス・センター
アートコンプレックス・センターは、新宿区の閑静な住宅地にありました。
天井の低いギャラリーの一室に設けられた、シンプルな、空間。
極端に少ない照明。
パンフレットの言葉に、魅了されました。
「匂いを感じて温度を感じて感触があって、その次に音が聞こえて、最後に景色が見えるのです。」
野木萌葱さんは、このように、脚本の言葉を紡ぎだしているそうです。
脚本の言葉が出て来る時、まるで自分の意志とは別の何かに突き動かされて出て来る時があります。
それを「ひらめき」と呼んだりするのかもしれませんが…
野木さんは、いつも、そんな奇跡の中で、物語を作っているというのでしょうか?
そう思っているうちに、役者が出てきて、静かな観客席の空気が一気に変わりました。
明りが変わったか変わらなかったか気付かないまま、舞台上に注意が向かいます。
「Nf3 Nf6(ナイトエフスリー ナイトエフシックス)」は、
虐待が繰り返される収容所での看守と囚人の物語です。看守は将校、囚人は数学者。
「美しい。」
それが、最初に出てきた感覚です。
過剰なアクション・過剰な説明・情感ある音が、一切入りません。
そして、無駄な動きもありません。
役者がすっと立って、チェスを動かす。その一挙一同に目を奪われます。
観客席も、息をのみます。
無駄な動きがないからこそ、役者の立ち姿の美しさ、繊細な感情表現、息遣いを、とても大きく感じる事が出来ます。
こんなに静かで、感覚を震わす表現があるのだと思いました。
この物語でも、人間のドラマを感じる事が出来ました。
そして、観客の存在を、大きく感じました。舞台上の緊張が、観客席にも伝わり、ほっとするところでは、観客席もゆるみます。
脚本の構成が秀逸で、伏線の回収も衝撃的で、
美しい数学を見ているような、心地よさがあります。
ディスカッションでは、伏線の話、余分な力を抜くテクニック、感覚と計算の話をしました。
○3/27 青年団若手公演「バルカン動物園」
猿を人間に進化させるプロジェクトを研究している国立大学の生物学研究室を舞台に、
生命倫理の問題や日本人論、そして立場の違う人たちの倫理観などが描き出されています。
同時多発会話は健在で、どこに光を当てているのかも、計算されていて、
とても分かりやすく観る事ができます。
人間にとって普遍的な問いかけは、それだけで、心を揺さぶります。
脚本を読んだ時は平気だったのですが、
扱っているモチーフの生々しさに、具合が悪くなりました。
生の舞台ならではの、具合の悪さです。
終わった後も、めまいがして、暫く何も考えられませんでした。
ディスカッションも、言葉が少なめに。
ショックが大きくて、何を考えればいいのか、感じればいいか、分からなかったのです。
ただただ、「なぜ、この作品を生み出したのだろう?」という思いでした。
その後、平田オリザさんが、現れて、お話をしてくださいました。
若手公演ということで気をつけた事。
ダメだし内容は、6割がスピード、2割が抑揚、2割が動きのこと…
抽象的なダメだしは、殆どしないということ、
稽古期間の話、脚本のノウハウ…
…そんな、具体的な話を、細かくしてくださいました。
私は、迷いましたが、平田さんに質問をしました。
「なぜ、平田オリザさんは、このような物語を作るのですか?」
「このような脚本を書く事で、平田さんにはどんなメリットがあるのですか?」
私は、その時の、平田オリザさんの言葉は忘れません。
…
平田オリザさんは、いつも、重い命題を社会に突き付けます。
それは癒しではないかもしれない。時には苦しい時間なのかもしれない。
でも、人には、必要なものであると、信じて、作品を作っているのだと思いました。
○終わりに
最後には、「何のために芝居をするのか」「芝居とは何か」という話をしました。
私にとって…
演劇は、人と人との繋がりの中で、生まれる奇跡です。
演劇は、心に宿る暖かい光です。
演劇は、祈りです。
いま、時代は、大きく変わりました。
これから、もっと大変な時代が来るのだと思います。
そんななかで、私たちは、どう生きるのか、どう関わるのかを問われているのだと思います。
自分の無力さが辛くなってしまう時もありますが、
自分に与えられた体と環境に感謝し、やるべきことを、誠実にやっていく事が、私の仕事なのだと思いました。
この企画に関わってくださった全ての方に感謝します。
ありがとうございます。
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