ディスカッションツアーレポート
2011.06.21 Tuesday | 第4回
『東京の芝居を観劇し』、『劇作家、演出家でディスカッションする』、3日間の観劇ディスカッションツアーは、とにかく刺激と学び、そして課題発見の連続でした。
特に、私の中で大きく課題として見えてきたことは、「観劇した作品の分析」「自分の考えの言語化」、「自分の行う演劇とは何かの自覚」「観客との関係性」という4つで、これらについて、深く考えていこうと思うようになりました。
【分析することにより発見したこと】
作品を、戯曲はどうだったか?演出は?と解体し分析していくことで、自分の作品づくりにつながるものを見いだすことができると学びました。
shelf「untitled」では、静かに音を流し続けること、役者が観客へ向ける目の力、タイミングをずらした照明変化、により、緊張感が持続されていました。
特に、音に関して、音を静かに流し続けることにより、「音」が鳴っている状態に慣れ、外部の音(電車の音など)や客席の身じろぎなども作品の一部のように感じるようになりました。開場中に流す音を用い、その作品世界の「音」に観客が慣れた状態をつくることをもっと意識的に行うことで、観客を作品世界にスムーズに導くことが可能なのではないかと考え、取り入れて行きたいと思いました。
TOKYO PLAYERS COLLECTION × 王子小劇場「IN HER TWENTIES」では、一人の女性を、年齢で振り分けられた複数の俳優で表わすという方法がとても興味深かったです。見た目も声も全く違う複数の俳優たちが、それぞれの年齢の立場から脳内会議のようなことを繰り広げ一人の女性を表わすことで、人間の多面性や深み、統一されていないからこそ出る現実っぽさが出ていたと思いました。
私は今、『思考の中にある発語されない言葉』を表に出すことによって人を描けないかと考えており、思考を年齢(経験)で整理するというみせ方はとても参考になりました。ここからさらに発展させ、新しい切り口を見出していこうと思いました。
青年団リンク 二騎の会「四番倉庫」では、開場中の灯りの状態のまま芝居が行われる、という、今まで観た中で一番明るい芝居を体験しました。客席も照らされている状態なので、観客同士もしっかりと見えており、自分が舞台や他の観客に与える影響についていつもより強く意識してしまいました。この客席が終始照らされていた事に関して、ディスカッションを行う中で、「観客と舞台上の役者が同じ状態になっていた(※)、それを狙った効果ではないか?」とう意見が出てきました。(※:「四番倉庫」は倉庫にやってきた、男たちの話で、倉庫から出ることは出来るのに、なぜだか誰も出ていかない、だから話も発展しない、という内容でした。客席が明るいので観客も会場をでようと思えば出られる状況でした。)
「演劇」において観客と舞台上、作品の関係性を考えると、観客は客席にいるだけで、舞台上にも他の観客にも影響を与える状態になり、その作品の構成要素のひとつとなります。今回、舞台上の人々と同じ状況に置かれたことで、『観客が与える影響力』という部分についての意識を持つようになりました。この件に関してはまだまだ考え途中ですが、作品を作る際に、観客もその構成要素と考えていくことで、「演劇」でしか生まれないものが生み出せるのではないかと考えました。
少年社中「天守物語」では、目を惹く色とりどりの衣装・メイクにより俳優一人ひとりのキャラクターがはっきりと打ち出されており、俳優の魅せ方が徹底していたと感じました。それぞれの役者の身長、体型、容姿の良いところを引き出し、その役どころにあった衣装・メイクはそれだけで観客を惹きつけ、作品世界に誘導していき、視覚効果の強さを改めて感じました。
どのような作品でも視覚的な部分において、その作品にあった色使い、造形というものがあり、それを追及していくことで、より作品の世界観に深みを出すことができるということを学びました。
【ディスカッション・言語化】
ディスカッションを行う事により、あらゆる角度から作品を捉え、新たな一面の発見や、さらに深い部分へ考えを進めていくことができ、その重要性を体感しました。
自分ひとりで観劇した作品について考える場合、自分の苦手な分野(例えば私は照明についてのセンスに乏しく、身体的表現についてあまり詳しくない、などなど)に関して、自分ができる狭い範囲での分析までで諦めたり、好き嫌いにとらわれ、どうして好感がもてたのか、または受け入れられなかったのか、どうすれば受け入れられたか、まで踏み込んで考えないことがしばしばあったなと改めて自覚しました。
しかし、ディスカッションを行うと、自分が興味を持てなかった部分に興味を持ったという意見が出たり、自分にはなかった作品の見方を知ることができたりと、作品に対してさらに広い視野を持つきっかけを得ることができました。さらに、自分以外の意見や考えを手がかりに、さらに踏み込んだ分析を行えると同時に、意見を交換し合うことによって、その分析や考えがどんどん深くなっていくことを体感しました。
今回は、それぞれ別で活動している劇作家、演出家の4人でのディスカッションでしたが、劇団内でディスカッションを行う際には、同じ方向性で活動している中で、制作、音響、照明、衣装、メイク、装置などのあらゆる観点からの分析や考えに基づく意見交換ができ、今回とは違った作品へアプローチや、見えてくるものがありそうだと、試してみたいと思いました。
また今回のディスカッションでは、自分の考えを言語化し、相手に伝えることの重要性を痛切に感じました。意見交換をする上で、『わかりやすい表現で、自分の言いたいことの要点を過不足なきよう、端的に話す』というのは必須でした。それがうまくいかないと、時間がかかる上に良く分かってもらえないという状態に陥ってしまいます。
さらにディスカッションでは、新たな情報を得て、そこから考えたことを発言し、そこからさらに考えていく、とインプットとアウトプットの連続になるので、ディスカッションを行う前に、『自分がどのような考えを持ち、どのように物事を捉えているのか』というものを明確にもち、言語化しておかなければならないと実感しました。
それを踏まえ、相手にも伝えた上で行うことで、より有意義なディスカッションを行っていけるのだと感じました。
また、自分が演劇をどのように捉え、どのような作品をつくっているかを自覚し、さらに言語化することは、自分の考えを伝えやすくするだけでなく、他者の意見を受け取りやすくするのだと学びました。
【東京の演劇と観客】
今回観劇した芝居は、4本ともカラーの違う作品だったのですが、どの作品も、『演劇というものの中で、どのような方向でやっているのか(やっていきたいのか)』、という部分の意識がしっかりあると感じました。
今回の4作品を観て、「shelf」は作品世界で包むことにより感じる芝居、「TOKYO PLAYERS COLLECTION」は人間を日常的な部分で表わしていく芝居、「二騎の会」は演劇だからこそ生まれる空間を生み出す芝居、「少年社中」は役者の魅力で魅せる芝居、とそれぞれの作品を言い表すことができると思いました。
そして、ディスカッションを行い戯曲のつくりや演出の手法、みせ方を分析していくと、それらが全て、私がそれぞれの作品から感じたテーマのようなものへとしっかり繋がっていると感じました。
作品にあった手法やみせ方を追求していくのは当然のことでしょうが、その当然のことである「作りたいもの」が明確に意識され、共有され、そこへ向かい全力を尽くせている、と言い切れる芝居づくりというのは、容易にできることではないと感じます。
演劇は観てもらわなければ始まらないので、作品だけを作ればいいというわけではありません。その為、「公演に間に合わせること」「観客を飽きさせないこと」という目先の要素が全体の目的にすり替わってしまい、「作品」「見せたいセカイ」がブレたり薄れたりすることがしばしばあるように思います。
公演を行い「演劇」を通して、なにをみせたいのか、何を生み出したいのか、ということへの意識が感じられるものを作るには、その意識を保ち続けることが必要だと改めて強く思いました。
そこで、東京という地域性を考えた時に、観客の人口も多く、演劇をやる人口も多いので、やりたいことがはっきりしていないと観客に観てもらえなくなるのではないか、その為に、やりたいことに対する意識を強くもっている人が多いのではないかと考えました。
そして、そこが、福岡の演劇と東京の演劇の大きな違いであるように感じました。
また、福岡との違いは観客にも感じられました。それは、観る側にもなにかしらの意思や意識が感じられる、という点です。東京は同じような方向性を持った劇団が複数ある為、観客がジャンルだけでなく、さらにそのジャンルの中から観る作品や劇団を選ぶことが必要となってきます。その中で、自ら選んでその作品、劇団を観にきたのだという意識が生まれ、受身ではなく、自らその作品に入っていく能動的な状態での観劇が行われているように感じました。
つくり手側がその方向性や立ち位置をしっかりと打ち出すこと、観客がその作品や劇団を選ぶ理由を少なからず持ち能動的でいること、それらが相乗効果を生み、「演劇」を通して生まれていくものや、「演劇とは何か?」に対する各々の意識が保たれているのではないかと考えました。
その相乗効果は、東京の地域性において起こりやすいものだとは思いまが、東京ならではのものではなく、演劇ならではのつくり手の観客の関係性であると思いました。私も今後の活動の中で演劇に対する自分の意識を保ち、その相乗効果が起こして行きたいと思いました。
この3日間を通して、劇作家、演出家として、自分の作品以外の演劇をどのように受け、どのようなアプローチをしていけばよいのか、その糸口をみつけることができました。そして自分の作品に対する意識の持ち方に対しても、より深く考えるようになりました。この3日間で得たものを糧にし、一層精進していきたいと思います。
特に、私の中で大きく課題として見えてきたことは、「観劇した作品の分析」「自分の考えの言語化」、「自分の行う演劇とは何かの自覚」「観客との関係性」という4つで、これらについて、深く考えていこうと思うようになりました。
【分析することにより発見したこと】
作品を、戯曲はどうだったか?演出は?と解体し分析していくことで、自分の作品づくりにつながるものを見いだすことができると学びました。
shelf「untitled」では、静かに音を流し続けること、役者が観客へ向ける目の力、タイミングをずらした照明変化、により、緊張感が持続されていました。
特に、音に関して、音を静かに流し続けることにより、「音」が鳴っている状態に慣れ、外部の音(電車の音など)や客席の身じろぎなども作品の一部のように感じるようになりました。開場中に流す音を用い、その作品世界の「音」に観客が慣れた状態をつくることをもっと意識的に行うことで、観客を作品世界にスムーズに導くことが可能なのではないかと考え、取り入れて行きたいと思いました。
TOKYO PLAYERS COLLECTION × 王子小劇場「IN HER TWENTIES」では、一人の女性を、年齢で振り分けられた複数の俳優で表わすという方法がとても興味深かったです。見た目も声も全く違う複数の俳優たちが、それぞれの年齢の立場から脳内会議のようなことを繰り広げ一人の女性を表わすことで、人間の多面性や深み、統一されていないからこそ出る現実っぽさが出ていたと思いました。
私は今、『思考の中にある発語されない言葉』を表に出すことによって人を描けないかと考えており、思考を年齢(経験)で整理するというみせ方はとても参考になりました。ここからさらに発展させ、新しい切り口を見出していこうと思いました。
青年団リンク 二騎の会「四番倉庫」では、開場中の灯りの状態のまま芝居が行われる、という、今まで観た中で一番明るい芝居を体験しました。客席も照らされている状態なので、観客同士もしっかりと見えており、自分が舞台や他の観客に与える影響についていつもより強く意識してしまいました。この客席が終始照らされていた事に関して、ディスカッションを行う中で、「観客と舞台上の役者が同じ状態になっていた(※)、それを狙った効果ではないか?」とう意見が出てきました。(※:「四番倉庫」は倉庫にやってきた、男たちの話で、倉庫から出ることは出来るのに、なぜだか誰も出ていかない、だから話も発展しない、という内容でした。客席が明るいので観客も会場をでようと思えば出られる状況でした。)
「演劇」において観客と舞台上、作品の関係性を考えると、観客は客席にいるだけで、舞台上にも他の観客にも影響を与える状態になり、その作品の構成要素のひとつとなります。今回、舞台上の人々と同じ状況に置かれたことで、『観客が与える影響力』という部分についての意識を持つようになりました。この件に関してはまだまだ考え途中ですが、作品を作る際に、観客もその構成要素と考えていくことで、「演劇」でしか生まれないものが生み出せるのではないかと考えました。
少年社中「天守物語」では、目を惹く色とりどりの衣装・メイクにより俳優一人ひとりのキャラクターがはっきりと打ち出されており、俳優の魅せ方が徹底していたと感じました。それぞれの役者の身長、体型、容姿の良いところを引き出し、その役どころにあった衣装・メイクはそれだけで観客を惹きつけ、作品世界に誘導していき、視覚効果の強さを改めて感じました。
どのような作品でも視覚的な部分において、その作品にあった色使い、造形というものがあり、それを追及していくことで、より作品の世界観に深みを出すことができるということを学びました。
【ディスカッション・言語化】
ディスカッションを行う事により、あらゆる角度から作品を捉え、新たな一面の発見や、さらに深い部分へ考えを進めていくことができ、その重要性を体感しました。
自分ひとりで観劇した作品について考える場合、自分の苦手な分野(例えば私は照明についてのセンスに乏しく、身体的表現についてあまり詳しくない、などなど)に関して、自分ができる狭い範囲での分析までで諦めたり、好き嫌いにとらわれ、どうして好感がもてたのか、または受け入れられなかったのか、どうすれば受け入れられたか、まで踏み込んで考えないことがしばしばあったなと改めて自覚しました。
しかし、ディスカッションを行うと、自分が興味を持てなかった部分に興味を持ったという意見が出たり、自分にはなかった作品の見方を知ることができたりと、作品に対してさらに広い視野を持つきっかけを得ることができました。さらに、自分以外の意見や考えを手がかりに、さらに踏み込んだ分析を行えると同時に、意見を交換し合うことによって、その分析や考えがどんどん深くなっていくことを体感しました。
今回は、それぞれ別で活動している劇作家、演出家の4人でのディスカッションでしたが、劇団内でディスカッションを行う際には、同じ方向性で活動している中で、制作、音響、照明、衣装、メイク、装置などのあらゆる観点からの分析や考えに基づく意見交換ができ、今回とは違った作品へアプローチや、見えてくるものがありそうだと、試してみたいと思いました。
また今回のディスカッションでは、自分の考えを言語化し、相手に伝えることの重要性を痛切に感じました。意見交換をする上で、『わかりやすい表現で、自分の言いたいことの要点を過不足なきよう、端的に話す』というのは必須でした。それがうまくいかないと、時間がかかる上に良く分かってもらえないという状態に陥ってしまいます。
さらにディスカッションでは、新たな情報を得て、そこから考えたことを発言し、そこからさらに考えていく、とインプットとアウトプットの連続になるので、ディスカッションを行う前に、『自分がどのような考えを持ち、どのように物事を捉えているのか』というものを明確にもち、言語化しておかなければならないと実感しました。
それを踏まえ、相手にも伝えた上で行うことで、より有意義なディスカッションを行っていけるのだと感じました。
また、自分が演劇をどのように捉え、どのような作品をつくっているかを自覚し、さらに言語化することは、自分の考えを伝えやすくするだけでなく、他者の意見を受け取りやすくするのだと学びました。
【東京の演劇と観客】
今回観劇した芝居は、4本ともカラーの違う作品だったのですが、どの作品も、『演劇というものの中で、どのような方向でやっているのか(やっていきたいのか)』、という部分の意識がしっかりあると感じました。
今回の4作品を観て、「shelf」は作品世界で包むことにより感じる芝居、「TOKYO PLAYERS COLLECTION」は人間を日常的な部分で表わしていく芝居、「二騎の会」は演劇だからこそ生まれる空間を生み出す芝居、「少年社中」は役者の魅力で魅せる芝居、とそれぞれの作品を言い表すことができると思いました。
そして、ディスカッションを行い戯曲のつくりや演出の手法、みせ方を分析していくと、それらが全て、私がそれぞれの作品から感じたテーマのようなものへとしっかり繋がっていると感じました。
作品にあった手法やみせ方を追求していくのは当然のことでしょうが、その当然のことである「作りたいもの」が明確に意識され、共有され、そこへ向かい全力を尽くせている、と言い切れる芝居づくりというのは、容易にできることではないと感じます。
演劇は観てもらわなければ始まらないので、作品だけを作ればいいというわけではありません。その為、「公演に間に合わせること」「観客を飽きさせないこと」という目先の要素が全体の目的にすり替わってしまい、「作品」「見せたいセカイ」がブレたり薄れたりすることがしばしばあるように思います。
公演を行い「演劇」を通して、なにをみせたいのか、何を生み出したいのか、ということへの意識が感じられるものを作るには、その意識を保ち続けることが必要だと改めて強く思いました。
そこで、東京という地域性を考えた時に、観客の人口も多く、演劇をやる人口も多いので、やりたいことがはっきりしていないと観客に観てもらえなくなるのではないか、その為に、やりたいことに対する意識を強くもっている人が多いのではないかと考えました。
そして、そこが、福岡の演劇と東京の演劇の大きな違いであるように感じました。
また、福岡との違いは観客にも感じられました。それは、観る側にもなにかしらの意思や意識が感じられる、という点です。東京は同じような方向性を持った劇団が複数ある為、観客がジャンルだけでなく、さらにそのジャンルの中から観る作品や劇団を選ぶことが必要となってきます。その中で、自ら選んでその作品、劇団を観にきたのだという意識が生まれ、受身ではなく、自らその作品に入っていく能動的な状態での観劇が行われているように感じました。
つくり手側がその方向性や立ち位置をしっかりと打ち出すこと、観客がその作品や劇団を選ぶ理由を少なからず持ち能動的でいること、それらが相乗効果を生み、「演劇」を通して生まれていくものや、「演劇とは何か?」に対する各々の意識が保たれているのではないかと考えました。
その相乗効果は、東京の地域性において起こりやすいものだとは思いまが、東京ならではのものではなく、演劇ならではのつくり手の観客の関係性であると思いました。私も今後の活動の中で演劇に対する自分の意識を保ち、その相乗効果が起こして行きたいと思いました。
この3日間を通して、劇作家、演出家として、自分の作品以外の演劇をどのように受け、どのようなアプローチをしていけばよいのか、その糸口をみつけることができました。そして自分の作品に対する意識の持ち方に対しても、より深く考えるようになりました。この3日間で得たものを糧にし、一層精進していきたいと思います。
山下キスコ(第4回) | comments (3185) | trackbacks (0)