2008.11.23 Sunday | 番外編
なかなか書けずに申し訳ありません〜。
遅ればせながら、『ワーニャ伯父さん』…読みました!
…なんて人間くさいんだろう…が一番の感想でした。
人間って100年経っても同じなんだな、と…当たり前かもしれませんが感じました。
卑屈さや嫉妬深さ、嘆き、絶望…あらゆる人物のそんな感情が行き交い、花火のように散った後のソーニャのラストの台詞が印象的でした。
一言が深い…。
タイトルにされているのはワーニャ伯父さん…彼にスポットをあてていることにも妙な深みを感じました。
最初は名前がややこしくて読むのに苦戦をしましたが…読み終わってみると、不思議と登場人物達の豊かな表情がこの目で見たかのように残っていました。
なんだか…面白かったです。
劇団地点さんがどのような作品にされるのか、とても楽しみです。
2008.11.23 Sunday | 番外編
チェーホフは「ワーニャ伯父さん」を、喜劇でも悲劇でもなく単に「田園生活劇」と規定した。
地点の三浦さんもおっしゃっているように、地味な話である。
しかしながら、平均週二回上演された「ワーニャ伯父さん」は連日超満員、熱狂的なカーテンコールが繰り返されたそうだ。
舞台はロシア。1890年代半ばの森に囲まれた大きな屋敷。白樺を育てる話が出てくるので、北の方だと予測される。
そこで領地を経営する中年男イワン・ヴォイニーツキイを若い姪のソーニャが手伝っている。
彼女にとってヴォイニーツキイは、いつまでも大切な「ワーニャ伯父さん」である。
そのほか、ソーニャを育てた乳母マリーナ、没落地主で今は食客になっているテレーギンが同居している。
時々、森林の育成を生きがいにする医師アーストロフが訪ねてくる。
夏のはじめ、ソーニャの父セレブリャコーフが、教授の職を退き、若くて美しい後妻エレーナをつれてこの田舎屋敷に戻ってくる。
このセレブリャコーフ教授が大変身勝手なじじいなのだ。
遅くまで書き物をし、夜中に呼びつけてお茶を入れさせ、
自分の老いと病を愚痴りまくる。
早寝早起きで健全だった一家の生活は、彼が現れたことで暮らしの軌道が外れてしまう。
ヴォイニーツキイはこの教授を崇拝し領地収入を捧げてきたのだが、
最近すっかり失望してしまい、その反動のように彼の妻エレーナにしつこく言い寄りはじめる。
その様子を皮肉な目で見ていた医師アーストロフも、夏の後半には仕事を放り出し、エレーナを誘惑する。
密かにアーストロフを慕ってきたソーニャはエレーナの登場により、恋の望みが立たれるのではないかと感じている。
やがて9月に入り、物語が大きく動き始める。
ちやほやされた現役時代を忘れられない教授は、もう一度都会で暮らすため、
領地を売って利回りのいい有価証券に変えようと言い出すのだ。
これにより、ヴォイニーツキイの怒りは爆発する。
なぜなら、この領地はかつてヴォイニーツキイ家がソーニャの母に与えたものだったからだ。
ヴォイニーツキイは教授めがけて二度ピストルで撃ってしまう。
・・・が、二度とも外れる。ああー。
最終幕、教授と妻エレーナは手近な都会ハリコフに引越し、
和解したヴォイニーツキイは「今までどおり金を送る」と約束する。
そしてみんなもとの生活に戻り、
一度は自殺を考えたヴォイニーツキイと、恋を失ったソーニャは、
やがて天国で休める日まで働いて、耐えて、生きていくしかないのだと、
夏におざなりにしていた農作物の伝票を書き始める。
とここで終幕。
このシーンのソーニャのセリフはチェーホフ劇の中でももっとも美しいとされており、
チェーホフの友人だったセルゲイ・ラフマニノフ(のだめでおなじみ)は、
このセリフをもとに歌曲を作っている。
時代も国も違う戯曲だったが、大変面白かった。
わかりやすい小田島雄志氏の訳と比較的新しい小野理子氏の訳、
そして地点がテキストで使用している神西清氏の訳と3パターン読んだが、
頭の温かい私には小田島訳が一番なじんだ。
これから初めてチェーホフを読むよ、という方にはオススメです。
「ワーニャ伯父さん」には現代の日本人にも共通する部分がたくさんあり、
読み物としては本当に面白かったのだが、
ただこれを日本人が演るとどうなるのだろうと思う。
いくら日本語に翻訳されていて、共感できる部分があるにしても、
これはロシアの話。日本人ならこういうこと言わないよな、みたいなところがやっぱりたくさんある。
素直に上演したら新劇によくある違和感を感じそうだ。
いくらロシアっぽい服を着てそういう舞台装置を作っても、
顔や言葉が日本ではちょっと滑稽だなぁと思ってしまう。
新劇が嫌いなわけではないのだが、むしろ好きなのだが、もし私がこの戯曲を演出するとしたら日本人がやる意味を持たせたいな、と思う。
まだプランはないけども。