観劇ディスカッションツアーから帰って一週間。
早いもので、日常の生活に追われていますが、こうしてレポートで思い起こすのは本当に良いなぁと。忘れていた事とか、忘れかけていた事とか、そういうのが溢れてきます。
で、こうして書面にすると、メモ書きではなく、しっかりとファイルに保管する(笑)。
見返して「ああ、そうだったそうだった。これを活用しよう」とか思える。このレポートはこれから他の芝居を観てもやろうっと(余裕があれば・・・)。でも、文章にすると、どうしても「論じる感」がある・・・頭が固くならないように、感性で芝居が観れるのは保たないと。。。
ということで、レポートです。
○5/3(金) shelf [untitled] (in atelier SENTIO)
小屋に入った瞬間から「飛べる」小屋。
その空気が、atelier SENTIO(アトリエセンティオ)には漂っていました。白塗りのいびつな壁とむき出しの配管、外からは電車の通る音が聞こえ、シンプルな照明が俳優の影を作って美しい絵を見ているよう。視覚的にはそうなんだけど、感覚的なイメージでは「胎内にいるみたい」な感覚を受けました。
一歩足を踏み入れた瞬間から、公演の異空間を感じられる、そんな場所は今回の演目ではかなり多大な効果を発揮していたと思います。
袖が無い事も有利にとって、開場中から役者が舞台に出て演じている。床には小道具。ただ、縦が見切れていて、私が座った席からは床に置いてある小道具が見えなかったのです。正直、キャストがそれを手に取るまで「そこにある」事にも気づきませんでした。役者は「演じている」というよりは「いる」の方が良いかもしれない。ほとんど動かない。だから次に動きにつながる時に、観客は集中する。これまでに動きがないために、始まって役者が動きだすと、そちらに意識が集中する。
そうして始まった舞台は、コンテンポラリーダンスと朗読が融合したような作品。全体的にスローな動きの中に、詩の短編朗読のようなものがちりばめられている。単調な動きと間とことばでありながら、見ていて疲れるということはなかったのが、計算されて配置されているのだなと思った。
動きも役者にコンテの要素を求めているものが多く、でもだからといって、バランスが取れているからか、全体的に見劣りする事もなかった。
その詩のような言葉の「選択」はどう行われているのか分からないが、「なぜその短編を選んだのか」という演出家の思いがなかなか見られなかった。作品の出発は震災に向けられていたようだが、果たして皆がそこに向かっていたのだろうか・・・。ただ、言葉自体が美しい響を持つ短編が多く、繰り広げられる舞台での「絵」と言葉の美しさに酔うような感じだ。
演出家の様々な「やりたいこと」が見え隠れした美しい舞台だった。が、「挑戦」はしたが、「無難なところでブレーキをかけた」 という印象が残った。
しかし、震災を描きたいと発信したその勇気と、細かに作られている事に感服。
私もコンテンポラリーダンスと融合した作品などを行うので、「ははぁ、役者さんにここまではまかせられるんだな」とか、大変参考になった。
○5/4(土)TOKYO PLAYERS COLLECTION × 王子小劇場「IN HER TWENTIES」
一人の女性の20歳~29歳までを、一人一役・要するに20歳に一人の役者が、21歳に一人の役者が、22歳に・・・というように、演じるのは複数人だが、一人の女性を演じていた。
その発想にまず興味をそそられる。あらすじからして、「いったいどういう舞台なんだろう・・・」と興味が湧く。同じ女性だからという部分もあるが、キャッチとあらすじでかなり心掴まれた(笑)
台本自体が、あまり観たことのない構成で面白い。
で、舞台のオープニングにも心掴まれた。最初はそれぞれが「ある人」の事を話しているようで、同一人物には見えない作り方をされていて、そこから一人の人に結びつく導入が面白かった。
この時の椅子取りゲームの激しい動きとカラフルな照明も、オープニングで心をつかむ、という効果が大きかったと思う。
舞台は20歳と29歳が話す現実のような世界はパイプ椅子で、舞台の両サイドに座っている。その他の空想の世界のような人は中央に半円を描くように木製の椅子に座っている。このパイプ椅子が現在のリアリティを出していて良かった。20歳と29歳は何かのインタビューに答えているという体で、その2人だけは現実っぽいのだ。椅子でしっかりと世界が分けられている感じだった。
真ん中にはペットがあって、そのペットの上でナイトウェアでゴロゴロする、みたいな動きがこれまた”女の子”を醸し出していた。が、やはり私の席からはペットが見切れて見えなかったのが残念・・・。
終始、女性にはぐっとくるあるあるネタが満載で、一緒に楽しんだり悲しんだりして、自分の過去を思い出して観る。男性が脚本を書かれているのだが、その言葉のチョイスには驚く。女性でしか分からないようなことまで、しっかりと言葉にしている。インタビューとか調査とか、そういうのを実際にしたのかどうか分からないが、かなり、「女性」に対して、アンテナを張っていないと、書けるものではない。
しかし「男性が描く女性」だなぁという感じ(決して嫌ではなくて)。女性が書くと、もっと裏にあるドロドロした感じが出そうだけれど、男性の女性像まんまな感じ。そのそのままでいくとおとぎ話のような女性をリアルにしていたのが、「犬」と「母親」だと思う。
「犬」と「母親」という現実味を帯びた第三者をところどころに登場させることにより、恋愛話だけではなくて、人間味をその女性に感じられたのだと思う。
最初の椅子取りゲームの場面だけが激しく動いて、それからは動きはあまりなく、朗読劇のような印象を受ける。椅子の定位置で「語る」が多くて、途中ちょっと飽きてしまったのと、20歳と29歳が受けいる微妙なインタビューが「これは一体なんのインタビューなんだろう・・・」という疑念と想像がもやもやして、そっちに意識をとられてしまい、結局、何のインタビューだったのかは最後まで分からず、インタビューと空想の世界が一緒になりかけて、ならない、そんなもやもやが残ったままだったのが、自分には消化不良だった・・・。
ちなみに、観ていてすごくかわいくて非の打ちどころのない女の子、の感想だった。「いやーかわいい女の子たちを観た。」と思っていたが、よく考えると一人だけイラッとする女性がいた!「20歳」の彼女だ!あの純真無垢で、元気いっぱいで、どこまでも未来が開けてて、真っ直ぐなあの頃の彼女が、今の30代の自分には、あの純粋さが罪だなぁと思った。これは観た後しばらく時間がたって感じた。
今の自分の、30代のすれた見方なんだろうなぁ・・・。
○5/4(日)青年団リンク 二騎の会「四番倉庫」
客電がおちることなく、そのまま空間を仕切っていたトラロープだけ外れて始まったところが印象的だった。コンクリートで囲まれた無機質な空間は、それだけで「倉庫」を連想させ、白い照明が更に倉庫っぽさを演出する。客席とアクティングエリアとの境にはトラロープがかけられており、開演時に、それが外されたのだ。
芝居をすると、どうしても「客電が落ちて、芝居が始まる」という意識があるのだが、それは演目とか魅せ方によってこういう方法も十分あり得るのだと学べた。
頭を柔らかくしないといけないなぁ。。。
ダメンズが織り成す密室劇(?)なのだが、完全な密室ではなく、「出ようと思えばいつでも出られるのに自分が出ない密室」。それがそのまんまダメンズを表していた。今のダメな自分から出ようとしない、そんな感じ。
そのダメンズっぷりには終始イライラした。が、脚本も、そのダメンズと同じように事件が起こりそうで起こらない。途中まではそのダメンズストーリーの中に、失踪者の存在も見えて、本当にこれはサスペンスなのではないかという思いで観ていた。が、結局は何もおこらず、見えそうで見えず、イライラを更に醸し出す、これが脚本と演出のねらいなら間違いなく大成功!そして最後に男が言った「・・・俺なにやってるんだろう・・・」というセリフも、観客である私たちに響く。「こんなイライラ芝居に、なんで自分はここにいるんだろう」という思いを出す。それもねらいなら間違いなく大成功!
そのダメンズの裏に、今の社会の裏とか、生身の人間とかを感じた。
現代社会に対する。端的に言うと「頑張っても報われない」とか「頑張ってるっていうやつに限って実は頑張ってないだろ」とか「ずるがしこい奴は嫌なやつでも生き残る」とか「良い奴はバカをみる」とか。
例えば、ヤツはどんな事をしてでも生き残るだろう。あのおべっか使いとキャラクターはきっと生き残る。反対に彼の友達であったやつは、結局良い人すぎて、良い人なのにバカをみる。ホームレスの彼は、社会の力に負け、頑張っているのに報われないと人のせいにしながら生き続ける。
そんな3人の現状は、今の社会を描いていた。
「買って戻ってくるよ」と言った良い奴は、戻ってくるかもしれない。良い人すぎるから。
「買って戻ってくるよ」と言われた彼は、戻ってこないと思っているかもしれない。
物語はそこで終わり、結局、彼が戻ってきたのか、はたまたまた彼は一人ぼっちで見放されたのかは分からない。
でも、戻ってきただろうな。そこから何か生まれただろうな。そんなメッセージを私は受け取ったのだが、それは自分の理想に偏りすぎているのだろうか。
でも、やっぱり自分はそういう芝居がしたいのだな。
今のこんな社会の中にも、わずかながら人を信じるという救いがある。
そんな良い話に読み取ってしまうのは、実際は深読みしすぎかもしれないが。
○5/4(日) 少年社中 「天守物語」
舞台はセットが豪華で、実際の天守閣があり、そこから下の地上を表すために、飛び降りたりする奈落がある。この舞台を上げる、というのだけでも大変だろう。。。
照明などもかなり仕込んである。キャパも広いので、拾いマイクがないとダメだろうが、そのマイクも様々なところに仕込まれているだろう。ラストの天守閣炎上の際には、ロスコ・スモークが多分4台くらいある。という、スタッフワークが素晴らしい舞台だった。
こういう芝居をやりたいと思ったら、演出家にはスタッフのそれ相応の知識が必要か、自分の右腕になるくらいの人が必要だと思う。
物語は人間と妖怪の力を持つアヤカシとの葛藤と恋模様を描く。
衣装・小道具も素晴らしく、細部にまで手を抜いていないという感想。衣装もきちんとキャラクターにあったもので、例えば、かるーいオカマキャラの彼には、それに合ったかるーい安物のかつらが用意されている、そういう衣装の選択・作成のスタッフがすごいなと思った。
反対に言えば、そういうスタッフやテクニカルが外掘りをガチガチに固めて、役者がその気持ちでそこに存在していたのかといえば、それは違和感として残ってしまった。
「愛している」と囁いても、その「愛している」は本当に心から出た言葉だったのか、それがちゃんと相手に向けて発せられている言葉なのか。その違和感が強く感じられた。
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今回のディスカッションツアーで、様々な舞台を観る事ができた。本当に4本が4本ともカラーの違う舞台で、それぞれの魅力や魅せ方を勉強できた。「それぞれで良いんだ」という勇気ももらった。
自分のやりたい芝居も再確認できた。やるぞ、という元気ももらった。
自分の課題も見えた。(
ブログに書いたやつですね。)
それを持続させないといけない。観劇ディスから帰ってすぐは「ようし!やるぞ!」と思うかもしれない。が、これが1週間たち、1か月経ち、1年経ったときに、自分はその思いを持っていないといけない。
だから、実行に移し続けないといけない。
実は、くすぶってやりたい事があったのだが、その勇気がなかった。でも、「今」しか発信出来ないこどかあるのだ。それが「10年後」とか「20年後」に発信する時と、今とでは違う。それを「やるぞ」というところまで持ってこれた。
皆さんからいろいろもらった。だから今度は実践に移そう。それが一番の恩返しだ。