観劇ディスカッションブログ

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観劇ディスカッションツアーレポート

2011.06.24 Friday | 第4回

今回のディスカッションで強く感じたのは、言語化するということの意義です。
以前より、言語化することが苦手だった僕は、寧ろ言語化を必要としない創作の方法がないものかと考えてました。しかしながら、演出家がdirector(=方向付けをする人)であるなら、OKとNGを明確に判断しなければなりません。言語化する、ということはその境界線を引くことです。言ってしまえば基本中の基本かもしれませんが、そのことを初めて強く認識した気がします。

思えば、参加した4名も、観劇した4本も、それぞれ違う演劇感を持っていました。そのことで、自分にとって何がアリで何がナシなのか、ということをより深く考えることが出来たと思います。恐らく、そうした経験の積み重ねが、自分の演劇の輪郭をはっきりと浮かび上がらせてくれるのだろうと思います。

そうした経験から今回確認できた、自分の演劇間の基礎となりうる考えは、観客をどのようなものとして捉えるか、ということです。演劇の構成要素を突き詰めていくと、作品と観客の2者がいれば演劇が成立しうると思いますが、だとすれば、その2者の間にどのような関係性を創るか、ということが創作の出発点となるであろう、ということです。

このことを強く感じたのは、二騎の会「四番倉庫」の観劇後のディスカッションです。
この公演では、感想に意見が分かれ(僕はとても面白いと感じたのですが)、僕がどの部分を演劇的に面白く感じたのかを説明している時に、この作品が、観客を作品の中にうまく取り込んでいるように感じたからだ、ということに気付きました。
この作品は、簡単に言うと倉庫の中から動けない人たちの物語ですが、開演中も客席の明かりが点いたままだったり、俳優の出入り口も劇場の出入り口だったり、観客もまた、簡単にはその倉庫から出て行けないように心理的な縛りを創られていました。さらには、舞台上に干渉しないという「演劇」の暗黙の了解が、何も出来ない人たちを、何も出来ない人たちが眺めているという面白い構図を創り、観客のもどかしさをいっそう引き立てていたように思います。
このように、舞台と観客との間にどのような関係性を作り、どのように作品に取り込んでいくか、ということを出発点においた作品作りをしたい、という考えが明確になったことは非常に大きな収穫でした。

この経験を活かせるかどうかは自分しだいではありますが、観劇した作品の創作者、またふらっとアゴラに尋ねてきた演劇関係者の皆様、そしてもちろん他の3人の参加者と知り合えたこと、そして演劇について語り合えた3日間は今後の活動の大きなモチベーションとなることと思います。

渡部の次回作にご期待ください。
渡部光泰(第4回) | comments (3664) | trackbacks (0)

ディスカッションツアーレポート

2011.06.21 Tuesday | 第4回

『東京の芝居を観劇し』、『劇作家、演出家でディスカッションする』、3日間の観劇ディスカッションツアーは、とにかく刺激と学び、そして課題発見の連続でした。
特に、私の中で大きく課題として見えてきたことは、「観劇した作品の分析」「自分の考えの言語化」、「自分の行う演劇とは何かの自覚」「観客との関係性」という4つで、これらについて、深く考えていこうと思うようになりました。

【分析することにより発見したこと】
 作品を、戯曲はどうだったか?演出は?と解体し分析していくことで、自分の作品づくりにつながるものを見いだすことができると学びました。

shelf「untitled」では、静かに音を流し続けること、役者が観客へ向ける目の力、タイミングをずらした照明変化、により、緊張感が持続されていました。
特に、音に関して、音を静かに流し続けることにより、「音」が鳴っている状態に慣れ、外部の音(電車の音など)や客席の身じろぎなども作品の一部のように感じるようになりました。開場中に流す音を用い、その作品世界の「音」に観客が慣れた状態をつくることをもっと意識的に行うことで、観客を作品世界にスムーズに導くことが可能なのではないかと考え、取り入れて行きたいと思いました。
 
TOKYO PLAYERS COLLECTION × 王子小劇場「IN HER TWENTIES」では、一人の女性を、年齢で振り分けられた複数の俳優で表わすという方法がとても興味深かったです。見た目も声も全く違う複数の俳優たちが、それぞれの年齢の立場から脳内会議のようなことを繰り広げ一人の女性を表わすことで、人間の多面性や深み、統一されていないからこそ出る現実っぽさが出ていたと思いました。
私は今、『思考の中にある発語されない言葉』を表に出すことによって人を描けないかと考えており、思考を年齢(経験)で整理するというみせ方はとても参考になりました。ここからさらに発展させ、新しい切り口を見出していこうと思いました。

青年団リンク 二騎の会「四番倉庫」では、開場中の灯りの状態のまま芝居が行われる、という、今まで観た中で一番明るい芝居を体験しました。客席も照らされている状態なので、観客同士もしっかりと見えており、自分が舞台や他の観客に与える影響についていつもより強く意識してしまいました。この客席が終始照らされていた事に関して、ディスカッションを行う中で、「観客と舞台上の役者が同じ状態になっていた(※)、それを狙った効果ではないか?」とう意見が出てきました。(※:「四番倉庫」は倉庫にやってきた、男たちの話で、倉庫から出ることは出来るのに、なぜだか誰も出ていかない、だから話も発展しない、という内容でした。客席が明るいので観客も会場をでようと思えば出られる状況でした。)
「演劇」において観客と舞台上、作品の関係性を考えると、観客は客席にいるだけで、舞台上にも他の観客にも影響を与える状態になり、その作品の構成要素のひとつとなります。今回、舞台上の人々と同じ状況に置かれたことで、『観客が与える影響力』という部分についての意識を持つようになりました。この件に関してはまだまだ考え途中ですが、作品を作る際に、観客もその構成要素と考えていくことで、「演劇」でしか生まれないものが生み出せるのではないかと考えました。

少年社中「天守物語」では、目を惹く色とりどりの衣装・メイクにより俳優一人ひとりのキャラクターがはっきりと打ち出されており、俳優の魅せ方が徹底していたと感じました。それぞれの役者の身長、体型、容姿の良いところを引き出し、その役どころにあった衣装・メイクはそれだけで観客を惹きつけ、作品世界に誘導していき、視覚効果の強さを改めて感じました。
どのような作品でも視覚的な部分において、その作品にあった色使い、造形というものがあり、それを追及していくことで、より作品の世界観に深みを出すことができるということを学びました。

【ディスカッション・言語化】
 ディスカッションを行う事により、あらゆる角度から作品を捉え、新たな一面の発見や、さらに深い部分へ考えを進めていくことができ、その重要性を体感しました。
自分ひとりで観劇した作品について考える場合、自分の苦手な分野(例えば私は照明についてのセンスに乏しく、身体的表現についてあまり詳しくない、などなど)に関して、自分ができる狭い範囲での分析までで諦めたり、好き嫌いにとらわれ、どうして好感がもてたのか、または受け入れられなかったのか、どうすれば受け入れられたか、まで踏み込んで考えないことがしばしばあったなと改めて自覚しました。
しかし、ディスカッションを行うと、自分が興味を持てなかった部分に興味を持ったという意見が出たり、自分にはなかった作品の見方を知ることができたりと、作品に対してさらに広い視野を持つきっかけを得ることができました。さらに、自分以外の意見や考えを手がかりに、さらに踏み込んだ分析を行えると同時に、意見を交換し合うことによって、その分析や考えがどんどん深くなっていくことを体感しました。
今回は、それぞれ別で活動している劇作家、演出家の4人でのディスカッションでしたが、劇団内でディスカッションを行う際には、同じ方向性で活動している中で、制作、音響、照明、衣装、メイク、装置などのあらゆる観点からの分析や考えに基づく意見交換ができ、今回とは違った作品へアプローチや、見えてくるものがありそうだと、試してみたいと思いました。

また今回のディスカッションでは、自分の考えを言語化し、相手に伝えることの重要性を痛切に感じました。意見交換をする上で、『わかりやすい表現で、自分の言いたいことの要点を過不足なきよう、端的に話す』というのは必須でした。それがうまくいかないと、時間がかかる上に良く分かってもらえないという状態に陥ってしまいます。
さらにディスカッションでは、新たな情報を得て、そこから考えたことを発言し、そこからさらに考えていく、とインプットとアウトプットの連続になるので、ディスカッションを行う前に、『自分がどのような考えを持ち、どのように物事を捉えているのか』というものを明確にもち、言語化しておかなければならないと実感しました。
それを踏まえ、相手にも伝えた上で行うことで、より有意義なディスカッションを行っていけるのだと感じました。
また、自分が演劇をどのように捉え、どのような作品をつくっているかを自覚し、さらに言語化することは、自分の考えを伝えやすくするだけでなく、他者の意見を受け取りやすくするのだと学びました。

【東京の演劇と観客】
今回観劇した芝居は、4本ともカラーの違う作品だったのですが、どの作品も、『演劇というものの中で、どのような方向でやっているのか(やっていきたいのか)』、という部分の意識がしっかりあると感じました。
今回の4作品を観て、「shelf」は作品世界で包むことにより感じる芝居、「TOKYO PLAYERS COLLECTION」は人間を日常的な部分で表わしていく芝居、「二騎の会」は演劇だからこそ生まれる空間を生み出す芝居、「少年社中」は役者の魅力で魅せる芝居、とそれぞれの作品を言い表すことができると思いました。
そして、ディスカッションを行い戯曲のつくりや演出の手法、みせ方を分析していくと、それらが全て、私がそれぞれの作品から感じたテーマのようなものへとしっかり繋がっていると感じました。
作品にあった手法やみせ方を追求していくのは当然のことでしょうが、その当然のことである「作りたいもの」が明確に意識され、共有され、そこへ向かい全力を尽くせている、と言い切れる芝居づくりというのは、容易にできることではないと感じます。
演劇は観てもらわなければ始まらないので、作品だけを作ればいいというわけではありません。その為、「公演に間に合わせること」「観客を飽きさせないこと」という目先の要素が全体の目的にすり替わってしまい、「作品」「見せたいセカイ」がブレたり薄れたりすることがしばしばあるように思います。
公演を行い「演劇」を通して、なにをみせたいのか、何を生み出したいのか、ということへの意識が感じられるものを作るには、その意識を保ち続けることが必要だと改めて強く思いました。

そこで、東京という地域性を考えた時に、観客の人口も多く、演劇をやる人口も多いので、やりたいことがはっきりしていないと観客に観てもらえなくなるのではないか、その為に、やりたいことに対する意識を強くもっている人が多いのではないかと考えました。
そして、そこが、福岡の演劇と東京の演劇の大きな違いであるように感じました。
また、福岡との違いは観客にも感じられました。それは、観る側にもなにかしらの意思や意識が感じられる、という点です。東京は同じような方向性を持った劇団が複数ある為、観客がジャンルだけでなく、さらにそのジャンルの中から観る作品や劇団を選ぶことが必要となってきます。その中で、自ら選んでその作品、劇団を観にきたのだという意識が生まれ、受身ではなく、自らその作品に入っていく能動的な状態での観劇が行われているように感じました。
つくり手側がその方向性や立ち位置をしっかりと打ち出すこと、観客がその作品や劇団を選ぶ理由を少なからず持ち能動的でいること、それらが相乗効果を生み、「演劇」を通して生まれていくものや、「演劇とは何か?」に対する各々の意識が保たれているのではないかと考えました。
その相乗効果は、東京の地域性において起こりやすいものだとは思いまが、東京ならではのものではなく、演劇ならではのつくり手の観客の関係性であると思いました。私も今後の活動の中で演劇に対する自分の意識を保ち、その相乗効果が起こして行きたいと思いました。

この3日間を通して、劇作家、演出家として、自分の作品以外の演劇をどのように受け、どのようなアプローチをしていけばよいのか、その糸口をみつけることができました。そして自分の作品に対する意識の持ち方に対しても、より深く考えるようになりました。この3日間で得たものを糧にし、一層精進していきたいと思います。

yamashita
  
  
  
  
  
  
  
  
  
山下キスコ(第4回) | comments (3185) | trackbacks (0)

観劇ディスカッションツアーレポート

2011.06.20 Monday | 第4回

観劇ディスカッションツアーから帰って一週間。
早いもので、日常の生活に追われていますが、こうしてレポートで思い起こすのは本当に良いなぁと。忘れていた事とか、忘れかけていた事とか、そういうのが溢れてきます。
で、こうして書面にすると、メモ書きではなく、しっかりとファイルに保管する(笑)。
見返して「ああ、そうだったそうだった。これを活用しよう」とか思える。このレポートはこれから他の芝居を観てもやろうっと(余裕があれば・・・)。でも、文章にすると、どうしても「論じる感」がある・・・頭が固くならないように、感性で芝居が観れるのは保たないと。。。

ということで、レポートです。

○5/3(金) shelf [untitled] (in atelier SENTIO)

小屋に入った瞬間から「飛べる」小屋。
その空気が、atelier SENTIO(アトリエセンティオ)には漂っていました。白塗りのいびつな壁とむき出しの配管、外からは電車の通る音が聞こえ、シンプルな照明が俳優の影を作って美しい絵を見ているよう。視覚的にはそうなんだけど、感覚的なイメージでは「胎内にいるみたい」な感覚を受けました。
一歩足を踏み入れた瞬間から、公演の異空間を感じられる、そんな場所は今回の演目ではかなり多大な効果を発揮していたと思います。

袖が無い事も有利にとって、開場中から役者が舞台に出て演じている。床には小道具。ただ、縦が見切れていて、私が座った席からは床に置いてある小道具が見えなかったのです。正直、キャストがそれを手に取るまで「そこにある」事にも気づきませんでした。役者は「演じている」というよりは「いる」の方が良いかもしれない。ほとんど動かない。だから次に動きにつながる時に、観客は集中する。これまでに動きがないために、始まって役者が動きだすと、そちらに意識が集中する。

そうして始まった舞台は、コンテンポラリーダンスと朗読が融合したような作品。全体的にスローな動きの中に、詩の短編朗読のようなものがちりばめられている。単調な動きと間とことばでありながら、見ていて疲れるということはなかったのが、計算されて配置されているのだなと思った。
動きも役者にコンテの要素を求めているものが多く、でもだからといって、バランスが取れているからか、全体的に見劣りする事もなかった。

その詩のような言葉の「選択」はどう行われているのか分からないが、「なぜその短編を選んだのか」という演出家の思いがなかなか見られなかった。作品の出発は震災に向けられていたようだが、果たして皆がそこに向かっていたのだろうか・・・。ただ、言葉自体が美しい響を持つ短編が多く、繰り広げられる舞台での「絵」と言葉の美しさに酔うような感じだ。

演出家の様々な「やりたいこと」が見え隠れした美しい舞台だった。が、「挑戦」はしたが、「無難なところでブレーキをかけた」 という印象が残った。
しかし、震災を描きたいと発信したその勇気と、細かに作られている事に感服。
私もコンテンポラリーダンスと融合した作品などを行うので、「ははぁ、役者さんにここまではまかせられるんだな」とか、大変参考になった。

○5/4(土)TOKYO PLAYERS COLLECTION × 王子小劇場「IN HER TWENTIES」

一人の女性の20歳~29歳までを、一人一役・要するに20歳に一人の役者が、21歳に一人の役者が、22歳に・・・というように、演じるのは複数人だが、一人の女性を演じていた。
その発想にまず興味をそそられる。あらすじからして、「いったいどういう舞台なんだろう・・・」と興味が湧く。同じ女性だからという部分もあるが、キャッチとあらすじでかなり心掴まれた(笑)
台本自体が、あまり観たことのない構成で面白い。
で、舞台のオープニングにも心掴まれた。最初はそれぞれが「ある人」の事を話しているようで、同一人物には見えない作り方をされていて、そこから一人の人に結びつく導入が面白かった。
この時の椅子取りゲームの激しい動きとカラフルな照明も、オープニングで心をつかむ、という効果が大きかったと思う。

舞台は20歳と29歳が話す現実のような世界はパイプ椅子で、舞台の両サイドに座っている。その他の空想の世界のような人は中央に半円を描くように木製の椅子に座っている。このパイプ椅子が現在のリアリティを出していて良かった。20歳と29歳は何かのインタビューに答えているという体で、その2人だけは現実っぽいのだ。椅子でしっかりと世界が分けられている感じだった。
真ん中にはペットがあって、そのペットの上でナイトウェアでゴロゴロする、みたいな動きがこれまた”女の子”を醸し出していた。が、やはり私の席からはペットが見切れて見えなかったのが残念・・・。

終始、女性にはぐっとくるあるあるネタが満載で、一緒に楽しんだり悲しんだりして、自分の過去を思い出して観る。男性が脚本を書かれているのだが、その言葉のチョイスには驚く。女性でしか分からないようなことまで、しっかりと言葉にしている。インタビューとか調査とか、そういうのを実際にしたのかどうか分からないが、かなり、「女性」に対して、アンテナを張っていないと、書けるものではない。
しかし「男性が描く女性」だなぁという感じ(決して嫌ではなくて)。女性が書くと、もっと裏にあるドロドロした感じが出そうだけれど、男性の女性像まんまな感じ。そのそのままでいくとおとぎ話のような女性をリアルにしていたのが、「犬」と「母親」だと思う。
「犬」と「母親」という現実味を帯びた第三者をところどころに登場させることにより、恋愛話だけではなくて、人間味をその女性に感じられたのだと思う。

最初の椅子取りゲームの場面だけが激しく動いて、それからは動きはあまりなく、朗読劇のような印象を受ける。椅子の定位置で「語る」が多くて、途中ちょっと飽きてしまったのと、20歳と29歳が受けいる微妙なインタビューが「これは一体なんのインタビューなんだろう・・・」という疑念と想像がもやもやして、そっちに意識をとられてしまい、結局、何のインタビューだったのかは最後まで分からず、インタビューと空想の世界が一緒になりかけて、ならない、そんなもやもやが残ったままだったのが、自分には消化不良だった・・・。

ちなみに、観ていてすごくかわいくて非の打ちどころのない女の子、の感想だった。「いやーかわいい女の子たちを観た。」と思っていたが、よく考えると一人だけイラッとする女性がいた!「20歳」の彼女だ!あの純真無垢で、元気いっぱいで、どこまでも未来が開けてて、真っ直ぐなあの頃の彼女が、今の30代の自分には、あの純粋さが罪だなぁと思った。これは観た後しばらく時間がたって感じた。
今の自分の、30代のすれた見方なんだろうなぁ・・・。


○5/4(日)青年団リンク 二騎の会「四番倉庫」

客電がおちることなく、そのまま空間を仕切っていたトラロープだけ外れて始まったところが印象的だった。コンクリートで囲まれた無機質な空間は、それだけで「倉庫」を連想させ、白い照明が更に倉庫っぽさを演出する。客席とアクティングエリアとの境にはトラロープがかけられており、開演時に、それが外されたのだ。
芝居をすると、どうしても「客電が落ちて、芝居が始まる」という意識があるのだが、それは演目とか魅せ方によってこういう方法も十分あり得るのだと学べた。
頭を柔らかくしないといけないなぁ。。。

ダメンズが織り成す密室劇(?)なのだが、完全な密室ではなく、「出ようと思えばいつでも出られるのに自分が出ない密室」。それがそのまんまダメンズを表していた。今のダメな自分から出ようとしない、そんな感じ。
そのダメンズっぷりには終始イライラした。が、脚本も、そのダメンズと同じように事件が起こりそうで起こらない。途中まではそのダメンズストーリーの中に、失踪者の存在も見えて、本当にこれはサスペンスなのではないかという思いで観ていた。が、結局は何もおこらず、見えそうで見えず、イライラを更に醸し出す、これが脚本と演出のねらいなら間違いなく大成功!そして最後に男が言った「・・・俺なにやってるんだろう・・・」というセリフも、観客である私たちに響く。「こんなイライラ芝居に、なんで自分はここにいるんだろう」という思いを出す。それもねらいなら間違いなく大成功!

そのダメンズの裏に、今の社会の裏とか、生身の人間とかを感じた。
現代社会に対する。端的に言うと「頑張っても報われない」とか「頑張ってるっていうやつに限って実は頑張ってないだろ」とか「ずるがしこい奴は嫌なやつでも生き残る」とか「良い奴はバカをみる」とか。
例えば、ヤツはどんな事をしてでも生き残るだろう。あのおべっか使いとキャラクターはきっと生き残る。反対に彼の友達であったやつは、結局良い人すぎて、良い人なのにバカをみる。ホームレスの彼は、社会の力に負け、頑張っているのに報われないと人のせいにしながら生き続ける。
そんな3人の現状は、今の社会を描いていた。
「買って戻ってくるよ」と言った良い奴は、戻ってくるかもしれない。良い人すぎるから。
「買って戻ってくるよ」と言われた彼は、戻ってこないと思っているかもしれない。
物語はそこで終わり、結局、彼が戻ってきたのか、はたまたまた彼は一人ぼっちで見放されたのかは分からない。
でも、戻ってきただろうな。そこから何か生まれただろうな。そんなメッセージを私は受け取ったのだが、それは自分の理想に偏りすぎているのだろうか。
でも、やっぱり自分はそういう芝居がしたいのだな。
今のこんな社会の中にも、わずかながら人を信じるという救いがある。
そんな良い話に読み取ってしまうのは、実際は深読みしすぎかもしれないが。

○5/4(日) 少年社中 「天守物語」

舞台はセットが豪華で、実際の天守閣があり、そこから下の地上を表すために、飛び降りたりする奈落がある。この舞台を上げる、というのだけでも大変だろう。。。
照明などもかなり仕込んである。キャパも広いので、拾いマイクがないとダメだろうが、そのマイクも様々なところに仕込まれているだろう。ラストの天守閣炎上の際には、ロスコ・スモークが多分4台くらいある。という、スタッフワークが素晴らしい舞台だった。
こういう芝居をやりたいと思ったら、演出家にはスタッフのそれ相応の知識が必要か、自分の右腕になるくらいの人が必要だと思う。

物語は人間と妖怪の力を持つアヤカシとの葛藤と恋模様を描く。
衣装・小道具も素晴らしく、細部にまで手を抜いていないという感想。衣装もきちんとキャラクターにあったもので、例えば、かるーいオカマキャラの彼には、それに合ったかるーい安物のかつらが用意されている、そういう衣装の選択・作成のスタッフがすごいなと思った。
反対に言えば、そういうスタッフやテクニカルが外掘りをガチガチに固めて、役者がその気持ちでそこに存在していたのかといえば、それは違和感として残ってしまった。
「愛している」と囁いても、その「愛している」は本当に心から出た言葉だったのか、それがちゃんと相手に向けて発せられている言葉なのか。その違和感が強く感じられた。

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今回のディスカッションツアーで、様々な舞台を観る事ができた。本当に4本が4本ともカラーの違う舞台で、それぞれの魅力や魅せ方を勉強できた。「それぞれで良いんだ」という勇気ももらった。
自分のやりたい芝居も再確認できた。やるぞ、という元気ももらった。
自分の課題も見えた。(ブログに書いたやつですね。)
それを持続させないといけない。観劇ディスから帰ってすぐは「ようし!やるぞ!」と思うかもしれない。が、これが1週間たち、1か月経ち、1年経ったときに、自分はその思いを持っていないといけない。
だから、実行に移し続けないといけない。
実は、くすぶってやりたい事があったのだが、その勇気がなかった。でも、「今」しか発信出来ないこどかあるのだ。それが「10年後」とか「20年後」に発信する時と、今とでは違う。それを「やるぞ」というところまで持ってこれた。
皆さんからいろいろもらった。だから今度は実践に移そう。それが一番の恩返しだ。

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越智良江(第4回) | comments (2764) | trackbacks (0)

FALCON観劇ツアー日記より抜粋

2011.06.14 Tuesday | 第4回

観劇ツアーから帰りましたFALCONです。純粋に芝居のことだけを感じて芝居のことだけを考え続けた時間は濃密で、出かける前と比べると途方もなく長い日数を経過したような感覚がしています。
このような企画に参加させていただいたFPAP様、ともに参加した3人の演出家の皆さん、そして東京で出会えた作品や芝居屋さんたちに深く感謝しております。

固定観念はなく観劇に望もうとはしていましたが、ここ最近の僕自身のテーマである「演出家の役割とは?」という疑問は、結局のところ2泊3日の間、ずっと僕の心のど真ん中に居座り続けました。ある面では、答や方向性が見えて疑問が解放された面もあり、また別の見方をすれば、疑問はより難解になったり新たな葛藤を呼び起こしたりしました。

今回見せていただいた作品は全部で4本。主催者様の配慮や選別もあり、大小・硬軟さまざまなベクトルを持つバリエーションだったと思います。
1本目のShelfの公演は、民家を作り変えたような劇場で、「応え」や「辻褄」を極力排除した果てにたどり着く「結果」を発信する作品。受け手のニーズがこうだからこうしたのだという要素は限りなく少なく、自分でも解決できない部分に感覚のままに反射していく「行為」を舞台に切り出してある種の結晶化にたどりついた作品でした。
一方、2本目の「In Her Twenties」は、アイディアと芸を見せる腕をきっちりと見せる作品で、非常にわかりやすく、作り手として最も「共感」に値する作品でした。作品の大部分を決定付ける脚本の力、それをもとに人間を引っ張る演出家の力、そして演出家と脚本に身をゆだね全身で役を発色する女優の力、すべてが「役割」のもとに科学的に結合し、観客の感性を確実に揺さぶる演劇の姿を見ました。
3本目は平田オリザ率いる青年団の若手公演。大御所の切り開いてきた道の中で、リスペクトやインスパイヤはされていながらも、己の感覚を作品に落とし込み実験させてもらえるという層の厚さを感じました。演劇は普遍的な文学性に挑む以上、これほど自我の強い連中が集まっているにもかかわらず、不思議と「徒弟制度」が根強い傾向があります。大御所が切り開いた道を「肉付け」していく流れが読み取れて、演劇は多様な進化をし、継続&継承されていく行為なのだと再確認しました。
4本目は少年社中の天主物語。キャパ180ぐらいのオフブロードウエイクラスの劇場で繰り広げられるいわゆる「商業演劇」。きれいな顔の役者たちは、見事なまでに訓練されていて、そこにきらびやかな衣装と派手な音響・照明をぶち当てて、これでもかというほどの「非日常」に観客をいざなってくれる。「わかりやすさ」という点では、観客の努力なんてまったく要らないわかりやすさで、泉鏡花の描い100年前の葛藤を「現代」に再現した作品でした。

そして、それぞれの作品を見た後に、その上演時間と同じぐらいの時間をかけて、4人の演出家がディスカッションをします。「観客」の視点ではなく「演出家」の視点で話し合うのです。
「僕は好き」とか「ここがよくない」という視点はタブーです。こうして作ったからこうなっている、ここを自分の作品にこう活かす、観客にこう届いたからこういう作品なのだというのを、実に高次元な視点で解きほぐしていく作業が、とても勉強になりました。

それぞれの作品の概要や視点、ならびにディスカッションの内容や感想は、僕の劇団のブログなどを通じておいおい発信することにしますので、お時間や興味のある人はそちらをのぞいてみてください。
あえてここに記しておくべき収穫は、「演劇」という言語の多様性に気がついたことです。

僕は今まで、脚本の力を重視したわかりやすい作品を作ってきました。わかりやすさが大前提であり、ある面では、それこそが演劇の優劣を決める判断基準であったといっても過言ではありません。わかりにくい自己満足は見るに値しないし、届けるべきものを受け手に届けた上で判断を仰いでいる作品でなければ、邪道とみなし語るに足らないと割り切っていました。
それが、今回のツアーに参加しているうちに、他にも価値観は多様にあって、それを作りたいとか見てみたいという「人」も多様に存在するのだということを知りました。演劇という「行為」そのものが、太古から発生する実に本能的な行為である以上、その形態やニーズ、そして送り手と受け手のつながり方は、それこそ「人の数だけ」存在するのだということを実感した気がします。
つまるところ、「自分は自分」であり「作りたいものしか作れない」ということを再確認したに過ぎないのですが、ディスカッションや観劇を通して、その結論までの間には、実に多くの説得力がくわえられたと思います。

ちょっと観念的になりすぎましたので、軽く整理します。
例えると演劇は音楽と同じなのです。歌いたいとか奏でたいという欲求は本能的なもので、聞き手がいようといまいとその行為は太古の人類から続いてきた行為だと思います。同じように、肉体のボキャブラリーを駆使して「演じたい」という欲求は、本能として人間のDNAに刻まれ、これまで生きたすべての人間がそれを実践する中で多様化してきたのです。
その歴史の中で、欲するものがいなくなり消えていった旋律や楽器、奏法や調べがあったように、演劇もその時々の時代の中で変化し明滅を繰り返してきたのです。21世紀を生きる僕たちには、それらの先人の奏でた調べを選択するチャンスがあり、そしてこれから新たな調べを生み出していくチャンスがあります。

大舞台での商業演劇が、SMAPのコンサートや巨大なオーケストラのフル演奏だとすれば、小劇場・中劇場の演劇は、ライブハウスでのバンド演奏や室内管弦楽だというふうに捉えることもできますね。
演奏されるジャンルもさまざまで、楽しくなるために聞いたり、悲しさを歌ったり、大勢で聞いて盛り上がったり、たった一人で音楽に身をゆだねる時間だってある。歌詞のメッセージに共感することもあれば、まったく意味はわからなくてもいいから心地よい調べに包まれたいという欲求もあります。みんなに聞かせたい音楽もあれば、人生のテーマソングとして心に持ち続ける歌もある。
音楽と同じように演劇もそれでいいのだと思いました。

後の人々にもこの感情を伝えたいと思いつめた作曲家が、そのイメージを楽譜に貼り付けたように、脚本家が台本に貼り付ける台詞やト書きは「イメージ」を込めた音符なのです。すると「演出家」は「指揮者」ということになるのでしょうか。
楽曲やテーマ、もっと根源的なイメージや欲求があり、それを伝えたいのか?それともただ奏でたいのか?という、送受のニーズに合わせて、演奏法や演奏の形態を決定していく。演奏スタイルも大ホールやコンサートホール、ライブハウスやジャズステージなどにあわせて、音響や照明を駆使して決定していく。
ある意味では、そこにスタイルの好き嫌いや、得手不得手があるのも現実ですね。
そういう意味からすると、作家としての僕は「強烈な葛藤を共有できる普遍性や文学性のある脚本」を書きたいし、演出かとしての僕は「それらのイメージをシンプルかつストレートに再現し、受け手側に余すところなく届けた上で感じてほしい」ということになります。箱でいえば、今のところドームツアーなどには興味がなく、坂本サトルがたった一人ギター一本で3時間のライブをこなすように、音や照明で着飾ったショーじゃなくて、「極限のみ」をそぎ落とした作品作りに興味があるということですね。

そういうことを、改めて再確認するに終わったツアーでしたが、なにより自分自身に対しての多角的な説得材料を得られたことに感謝しています。また、同時に参加した3名の演出家のみなさんとは、「同期の桜」ではありませんが、ある種の連帯感を得られたので注目して行こうと思っています。
いろいろなことを感じ、考えた3日間。ありがとうございました。


追伸:そして、もうひとつ、上に述べた観点から解きほぐしてみて浮かび上がったテーマがあります。それは、「音楽は金になるのに演劇は金にならない」という由々しき問題です(笑)金にならないがゆえに深く話し合われることがなく、明確な住み分けがなされないまま漠然と「演劇」が定義されていることが、ひとつの問題点だと思いました。
この問題を打破する答はひとつです。たくさんの人が舞台の裏表にも客席にもあふれて、作って、感じて、語りつくして、演劇はもっとたくましい言語に進化していくのです。つまり、「みんな劇場に行こう!」ということです。「観劇」し、「ディスカッション」しようぜい。。。

falcon
  
  
  
  
  
  
  
  
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本日より観劇ディスカッションツアー!

2011.06.03 Friday | 第4回 > FPAP事務局

三坂です。

本日より、観劇ディスカッションツアーです。
ツアー中は、観劇したそれぞれの作品について、

■劇作家・演出家の視点で
■表現者としてインスパイアされたところ
■自分ならどうするか?

といった点を中心にディスカッションしていきます。

事前に参加者に観劇する公演・団体についてのレポートを作成してもらったのですが、それを読むと、ディスカッションへの期待がとても高まりました。
じっくりと深いディスカッションが行えそうで、楽しみです!
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出発に向けて

2011.06.03 Friday | 第4回

いよいよ出発間近となりました。
出発に向けて、どうしても触れておかなければならないのは、
3月以後、依然として続いている地震についてです。

福岡に住んでいる自分にとっては、震災直後に物品の流通が滞りはしましたが、今では震災以前とほとんど変わらない状態になってはいますが、ニュースやネット上での情報を通して、私たちの意識の中に根を張ってしまった事実の重みをどのように受け入れれば良いのでしょうか。

その事実を昇華する手段として、演劇がどの様な意味を持ちうるのか。
今の東京の空気は、演劇という行為にどの様な影響を与えているのか。

考え過ぎれば視点を歪めかねないとは思いますが、今だからこそ触れられる、演劇の根源的な力もあるのではないかと思い、またそれを感じられるような作品に出会えることと期待しています。


watanabe
  
  
  
  
  
  
  
渡部光泰(第4回) | comments (2432) | trackbacks (0)

10年前に置いてきた景色

2011.06.03 Friday | 第4回

さて、出発の日が近づいてきました。「ツアーに期待すること」は別項で記したとおりですが、いよいよ「時間」的に出発が近づくと、「期待」だけではない色々な思いが頭や胸や腹に渦巻き始めます。
「時間」的に迫るということは、もうまもなく僕の肉体は東京に行き、「物理」的に、そして「空間」的にも、それらの思いが近づいているということです。
今回、たまたまですが、初日に集合し、観劇する劇場の場所が、学生時代に僕の住んでいた家の目と鼻の先にありまして…(笑)現時点の僕が一番ワクワクしているのは、なによりもまず、10数年ぶりにその景色に出会うことだったりします。
夕方が集合時間なので、それまでの間、懐かしい町並みを歩いてみるのも、ひとつのテーマです。地元を離れ、孤独の意味を知り、その孤独が創作していく火薬になるということを知った板橋。アルバイトを通してさまざまな人間模様を知り、社会経験を重ねた町・池袋。夜のネオンの海を漂いながら、世の中には僕の価値観だけ では到底解釈することの出来ない、不可解ながらも実に魅力的な人間くさい人間がいることを知った新宿。
もしかしたら、町の景色は10年前と変わっているかもしれないけれど、その景色の中に、僕が「置いてきた何か」があるような気がします。そして同時にそれは、僕が置いてくることなく「持ち続けてきたもの」を再認識する体験になると期待しています。

そうして、良くも悪くも懐かしい景色に包まれた中で、今の僕自身が整理されたら、よりよい感覚で4つの作品を感じることができると思います。少し、私的な話にかたより、観念的になりましたが、期待も不安も、今の時点ではあまり方向付けずに、ありのままを感じたいので、このぐらいにしておきます。

falcon
  
  
  
  
  
  
FALCON(第4回) | comments (1237) | trackbacks (0)

出発へ向けて

2011.06.02 Thursday | 第4回

いよいよ〜いよいよです!明日は東京にいます。
なんだかずっと先だと思っていたのに、あっ!という間でした。今晩はせっせとパッキングです。

さて、出発へ向けて・・・意気込み?決意?そんな思いは、これは主催さんの事業の一環として行かせて頂く企画。ということは、私もホールで働いていますから、重々感じますが、この費用の一部は税金から出ているのです。

一市民である私たちは「私たちの税金がそんな使われ方して良いのかーっ!」という経験が山ほどあります!もちろん私にもあります。そんなのを見聞きする度、ふつふつと怒りが湧きます。「良い使われ方」をしなければいけない税金が、なんでそんなものに使われてるんだと。

その思いを知ってるからこそ!そんな事になってはいけない!
そこをしっかり忘れず、うひゃー!と浮かれすぎないようにと戒めています。
「旅行」じゃないですからね。 

楽しい と 浮かれる は違う。浮かれる と 浮かれすぎる も違うんです。

で、もう一つ。問題はその後。先走りすぎる感もありますが。
結局「受ける」とか「観る」とかしても、「行動」に移さないと、この分野ばかりは何もならないなと思うのです。
「あ〜良いもの観た〜勉強した〜ヒントもらった〜良かった〜」
とか思っても、それを「思っているだけ」では演劇の分野はどうにもならないなと。まして、今回は演出家・劇作家で参加させて頂いているわけですから。

≪次に繋げる≫、思いを持って。
良い勉強したいなと思います。

・・・ん?・・・固い?固いですか?!
大丈夫です!私にはこれくらいがちょうど良いんです^^(笑)

ochi
  
  
  
  
  
  
  
  
  
越智良江(第4回) | comments (1050) | trackbacks (0)

いよいよ出発です。

2011.06.02 Thursday | 第4回

こんにちは、山下キスコです。
いよいよ、観劇ディスカッションツアーへ出発です。

今回観劇する4本のお芝居の事前レポートを読み、バラエティ豊かなラインナップだ、と感じました。
そして、さらにそれを4人の劇作家、演出家と深めてゆく。
どんなコトになるのか予想がつきません。
とても愉しみです。


地域や環境の違う場で活動する劇作家、演出家とのディスカッションを通して、演劇のなかで、自分がどこに、どういう立ち位置でいるのか、いたいのか、という考えをさらに深めていこうと思います。

自分がこれまで行ってきたことを振り返ったり、今まで観た芝居に対して自分がどう感じたか考えたかを思い出したり、自分が今どのようなモノをつくっていこうとしているのかを考えたりしつつ、東京へと向かいたいと思います。

視野と思考をひろくもち、刺激を受け、吸収し、いろんなコト、トコロを深めていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします!

yamashita
  
  
  
  
  
  
  
山下キスコ(第4回) | comments (3790) | trackbacks (0)

観劇ディスカッションに参加したのはなぜでしょう か。

2011.05.31 Tuesday | 第4回

もしかしたら私というものは、私ではないもの全ての対象としてしか定義づけらないかもしれません。
私は、私ではないものとの接触によってのみ、私の輪郭を感じられるのではないでしょうか。
であるならば私は、できるだけ多くの私ではないものと交わらなければなりません。
そうやって、次第にぼんやりとしていた私が、より実体としての存在感を増していくなら、その私から吐かれる言葉は、いっそう私に近づいていけるのではないでしょうか。


皆様、こんにちは。
ポエティックに始めてみました。
village80%の渡部です。

ご存知の方もおられるでしょうが、私は今年の福岡演劇フェスティバルにおいて、FFAC企画 創作コンペティション「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう!」という企画で作品を上演いたしました。

まあ、コンペティションなので審査やなんやかんやありましたがそれはおいといて、この企画「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう!」って言うのがメインテーマとなっておりまして、私はその重要性を、コンペティションに参加し再認識したわけであります。

とりわけ、劇団での活動がほとんどの私にとって、ひとつ間違えれば創作の場が閉鎖的かつ暗黙的になってしまう危険性があり、それを回避する重要な手段が「語り合う」ということだと思うのです。

そもそも、演劇の面白いところのひとつに、その創作に参加する複数の人間の人生や哲学が絡み合って生まれる、その現場でしか起こらない奇跡的なアイデアがあったりすると思うのですが、それを起こすにはやはり、作品について、脚本について、演劇について、人生について、男と女について、金銭的困窮について、語り会わなければならないのです。

しかしながら、私は今までの人生において語ることをないがしろにしてきてはいまいか。
その反省から、今回のこの観劇ディスカッションの企画に応募してみたわけでございます。

有意義な時間を期待してワクワクしておりますよ。

watanabe
  
  
  
  
  
渡部光泰(第4回) | comments (1352) | trackbacks (0)